山崎豊子「暖簾のれん」ー南茅部町

大阪の名産である昆布製品のはじまりは、北海道南茅部のものでした。

「翌日は早朝の汽車に乗って函館を発ち、軍川に向かった。駒ヶ岳八里を徒歩で越え、鹿部で一泊、また未明から臼尻うすじり川汲かっくみ尾札部おさつべを浜づたいに十五里、馬の鞍でお尻を擦られながら(コンブの)買い付けに狂奔した。

来る日も、来る日も馬の背に揺られて、丹念に浜の仕込主を尋ねて浜を伝った。何処まで行き着いても雲一つなく、青い空は底から冴えわたっている。白い土用波が砂を嚙んで、点々と散在する部落は貧しく荒れて、ひっそりとしていた。
部落から部落への浜づたいの間は、さらに静まりかえり、潮風がゴオッと凄まじく吾平の耳朶を打つ。八月の土用照りの中で、吾平は思わず単衣もののの襟元をかき合わせるほど肌寒かった」

「浜によって昆布の質は異なる。北海道渡島郡内の川汲、尾札部、板切、臼尻、木直産は加工用原草の上もの産地で、二貫ずつ一束に揃えて『先揃え昆布』と呼ばれる」

「吾平は、八月の初めから九月末まで滞在し、飽くことなく浜から浜へ買い漁った」