津村 節子「さい果て」ー根室市

津村 節子(つむら せつこ)
1928年(昭和3年)- 小説家。94歳現役
本名は吉村 節子(よしむら せつこ、旧姓北原)。
夫は小説家の吉村昭

福井県福井市生まれ。1965年「玩具」で芥川賞、1990年『流星雨』で女流文学賞、1998年『智恵子飛ぶ』で芸術選奨文部大臣賞。

『さい果て』筑摩書房 1972 (新潮同人雑誌賞 1964)。
25歳の津村節子と一つ上の吉村昭が結婚したのが昭和28年、二人はその年に東北へ旅に出る。翌年北海道へ上陸して函館、札幌、帯広、釧路、そして最果ての根室へ。(洞爺丸台風があったのは吉村夫妻の後でした)

「いま、私たちの降り立った所は、異国の島となった千島が見えるという日本のさい果てのプラットフォームなのであった。木造の小さな何の変哲もない駅に降りて、二人は駅前の広場を眺めながら暫く言葉もなく佇んでいた。
放浪の旅にあって、二人は次の目的地の駅に降り立った一瞬、すべての期待を駅前の繁華街にかけて、胸苦しいほどの緊張をおぼえるのが常であった。この町には、駅前に必ずといっていいほどある旅館、土産物店、商店街などの燈が全くなかった。ただ、そこには静まり返った闇が広がっていた」

「坂を下るにつれて、点々と燈が見えてきた。駅から海に向かって傾斜している斜面の、海岸近くに町が広がっているのだった。その町の中央に、広い舗装道路が十文字に走り、間口の広い店舗がびっしり並んでいた」
そこの一軒の店を見つけて借りる。
「志郎の顔は明るかった。たとえ行商しながらの放浪の旅であっても、見知らぬ町々を歩き、思いがけぬ体験を重ねて行くことは、志郎にとって勤めに軀を拘束される生活や、事業の資金ぐりに東奔西走する生活より、どれほど楽しいことか知れなかったのだろう」

「私たちは不渡り手形の代償として送られてきたメリヤス製品を換金するために旅に出て、いま根室にいる。今年は冷害のため農作業は殆ど全滅、加えて鰊の不漁でかなりの不景気らしかった。初日は物珍しさからか予想以上の売り上げがあったが、一日毎に下降線をたどっていった。もう次の土地へ移らねばと思っていると、同業者に「そろそろ北海道もしまいだね」といわれた。
十日間の予定を二日早く切り上げて、私たちは慌ただしく荷造りをはじめた。

二人が上野駅へ舞い戻ったのは大晦日の夜で、地下食堂でそばを食べながら上野の森から聞こえてくる除夜の鐘をきいた」