串田 孫一「北海道の旅」ーサロベツ原野

串田 孫一(くしだ まごいち)
1915年 – 2005年    詩人、哲学者、随筆家。東京市芝区生まれ。父は三菱銀行会長の串田萬蔵。駿河台や永田町や一番町に育つ。1938年東京帝国大学文学部哲学科卒。中学時代から登山を始めた。
1938年、処女短編集『白椿』を刊行。1946年に『永遠の沈黙 パスカル小論』を上梓、『歴程』同人となる。東京外国語大学教授を務めたが1965年退官。同年から1994年までFMラジオ番組「音楽の絵本」でパーソナリティを務めた。2005年7月8日に老衰のため東京都小金井市の自宅で89歳で死去

稚内を出て汽車は「抜海、勇知、かぶと沼へ来てそろそろ原野がひろくなり出す」、「これがサロベツ原野だ、と時々溜息が出る。上サロベツ、下サロベツと一応地図の上では分かれているけれど風景としての区別はない。ペンケ沼、パンケ沼が遠くまで光っている。そのまた向こうの、もう海岸近くには、細長い大小の沼があるようだが、それは見えない。そして南北に定規で引いたようなその海岸はどんななのだろう。天塩まてで゛の60キロの海辺を、二日ぐらいで歩けるだろうか」。
次の夢としてとっておき、「今度は車窓から、眺めるだけで満足することにしよう。。幌延に着く。ここから天塩に出て西海岸を苫前、留萌へ行く時があれば、天売、焼尻へも渡り、暑寒別岳附近の山にも登るだろう」

大正4年生まれの串田孫一がサロベツ原野を通ったのは戦前のことだと思いますが、この紀行文は今でもそのままの情景として使えます。