三浦哲郎「踊子ノラ」ー豊富町

三浦 哲郎(みうら てつお)
1931年 – 2010年   小説家、日本芸術院会員。

青森県八戸市三日町の呉服屋「丸三」の三男として生まれる。1949年に高校を卒業して早稲田大学政治経済学部経済学科へ進学したが、次兄失踪のため休学して父の郷里岩手県二戸郡に帰郷。八戸市立白銀中学校で助教諭として体育と英語を教える。小説を書き始め、1953年に早稲田大学第一文学部フランス文学科へ再入学する。
在学中の昭和30年新潮社の同人雑誌賞を受ける。
1961年(昭和36年)『忍ぶ川』で芥川賞を受賞した。

稚内のクラブでのショウを終えた夜、踊子ノラは寿夫が運転する車で豊富温泉に向かった。

「豊富温泉の灯は、思いのほか早くみえてきた。A市(旭川)から急行(天北)で北上すると、音威子府からオホーツク海沿岸の浜頓別の方へ別れてしまうが、朝の<礼文>や夕方の<宗谷>に乗ると、豊富を通る。けれども、温泉駅からすこし山の手に入るから、車窓からは見えない」

温泉ホテルに着くと、旭川からの楽子が来ていて、にぎやかな集いになった。
「温泉は、澄んで、さらりとして、いいお湯だった」。
女中の杏子がいう。「なんでも酸食塩泉とかでね、胃や皮膚病、それに火傷なんかにもよく効くみたい。大正何年(大正15)とかに、石油を吹き出したんだって、だから、最初のころは石油臭かったり、湯面に油が浮いていたりしたらしいけど、いまはもう綺麗だし、なんにも匂わないでしょう」