古山高麗雄「オホーツクの海が見たくて」ー幌加内町

古山 高麗雄(ふるやま こまお) 
 1920年(大正9年)- 2002年(平成14年)
小説家、随筆家、編集者。芥川賞作家。

主として太平洋戦争での従軍体験や戦後の生活を舞台にした小説を発表し、いかなる場においても変わることのない人間のありかたを描き出した。

 

深名線は函館本線の深川駅から雨竜川に沿って北上し、オンネベツ川の上流に出て北東に向かい宗谷本線の名寄駅に達する121・8キロのローカル線です。
昭和16年に開通しており、もともとは木材運送の目的でした。平成7年に廃線になっています。

「昭和49年の4月下旬、飛行機で東京から札幌へ。残雪は、汽車が北上するにつれて量を増す。深川で降りて深名線に乗り換える。鄙びた鉄道で、沿線の子供たちはみな、深川か名寄の高校に列車通学しているのではないかと思われた。ガイドブックを見ると、この沿線で最も大きな町らしい幌加内町の人口が6,962人である。
誠和温泉という無人駅で降りて、駅前の旅館で泊まることにした。ほかに建物といえば、線路ほへだてて二軒ばかりの農家らしいのが見えるだけであった。東京ではもう桜の季節が過ぎているが、時間が逆もどりしたように一面の雪である。部屋の窓の下には水量の豊かな雨竜川が流れていた。

翌朝、8時21分の気動車に乗る。名寄に出るには朱鞠内で乗り換えなければならない。乗り換えの時間が20分ほどあったので、駅から出て、ゴム長を売っている店をさがしてみた。朱鞠内は、深名線では小さい村ではないのだろうが、しかし、数えるほどの家屋が駅の前に群がっているだけだった。

ふたたび深名線に乗り、名寄に出て、稚内に向かった」