寒川光太郎「熊物語」ー苫前町三渓

苫前町の古丹別の奥で起きた羆事件は、大正4年(1915年)12月のことでした。

すでに、このコーナーで「熊害慰霊碑ー苫前町」として取り上げましたが、この事件を最も早く小説としたのは寒川光太郎でした。

「北海道の原始林に書かれた英雄伝の中で、未だに比類ない大きさを誇るものはコタンベツの恐怖すべき人啖い熊であった。この通り魔のような熊野郎の歴史は、今でもその地方の人々を戦慄させている。
彼が人間に血みどろな戦いを宣したのはたった三日間であったが、その壮烈な最期の火花の間に、この原始林の英雄のために動員された人員は、のべ千人あまり、その火ぶすまの中に彼は恐るべき生涯の幕を下ろしたのであった。
彼の最後の咆哮は、バリバリと樹氷をふるいおとさせ、遠く天塩原野の彼方までひびきわたったという。彼が己の野性領土を守るこの抗議は、はなはだ悲痛なものであったに相違ない。
北国で名だたるこの羆王に関する、数多い記録作者の筆によれば、この紛争の最初の攻撃者は彼である、と一様に指摘している。だが、実際のところ彼等は、自分たちの野性侵入史をば忘れていたのだ。彼はこの同情ない冷たい憎悪の中で、ひとり孤塁を守り、血みどろに戦い、そして己が愛する領土の中で死んでいった。すべての野性のものたちの避けられぬ宿命であった」