星野 天知「磯物語」ー寿都町

星野 天知(ほしの てんち) 
文久2年(1862年) – 昭和25年(1950年)

明治期の作家、教育家、武道家、のち書道家。現・東京都中央区日本橋本町の砂糖問屋『伊勢源』の次男に生まれ、本名星野新之助。
明治19年(24歳)、駒場農学校(後の東京帝国大学農学部)に入学し、薬草学を専攻した。
(『伊勢源』は、もと薬種問屋だった。)
卒業の年から、明治女学校で武道・心理学・東洋哲学・漢文などを教えた。1890年、女学雑誌社が創刊した『女学生』誌の主筆となった。

明治28年に「磯物語」という短編を発表しました。

「志りべしの国磯谷いそやという所は、漁村打続きていずれも海の幸を炊きの煙りに迎えぬはなし、殊に鰊採る皐月の頃は其の繁昌言わん方なく、路は鱗の丘を築き、往く手になまぐさき香けむり立つめり、漁家は更なり商う家の女子らも、若きとなく老たるとなく、皆鰊を乾しつ運びつして、そが手伝いにと出ざる者なし、歌棄うたすつという所より能津登のつとという辺まで、五里の長汀どよめきて亘りて、人は皆気昴り心奮うて、各の仕事に走りこむ様宛然戦いの場にも似たり」

寿都町はニシンで栄えた港町です。良港としても知られ、阿部比羅夫が軍艦180隻を率いて仮泊したという伝説もあります。また、北海道における官許遊廓が札幌に次いで明治5年に2号が作られたところです。
今も、海岸線には多くの海神社があり歌棄には「追分記念碑」があります。