夏目漱石在籍地碑ー岩内町

私は岩内町は何度も訪れているのですが、この漱石の在籍地碑は偶然見つけました。特に、探し廻ったことはなく、車で町内を回っていて突然正面に飛び込んできました。そのような場所に建っているということです。
しかし、岩内町もよく戸籍を調べて、この碑を建てたものだと思います。このような碑は岩内町にしかありません。

明治25年4月5日に東京の夏目家から分家し「岩内郡吹上町拾七番地浅岡仁三郎方同居」として「戸主夏目金之助」の戸籍が作られました。25歳の時で、戸籍には妻のほか7人の子が連ねられています。
明治30年に岩内郡鷹台町54番地に籍を移し、東京へ転籍したのは大正3年6月2日でした。22年間もの間で、年齢は47歳まで、亡くなったのは二年後でした。

「余は東京の場末に生まれたものであるが、妙な関係から久しい以前に籍を北海道に移したぎり、今に至って依然として後志国の平民になっている。原籍のある所を知らないのも変だと思って、機会があったら一度海を超えて北の方へ渡って見たい積でいたが、つい積計で実行の決心は容易に出来ず、来る年来る年を荏苒と暮らして仕舞った」極北日本ー樺太踏査目録の序文の一節から

漱石の戸籍が何故岩内に移されたのかは説がいろいろあるようです。東大英文科に在学していた時で、官立大学の徴兵延期は26歳まででしたが、後志国ではまだ徴兵令は施行されていませんでした。
それを逃れるための方便ではという説がありますが、明治25年といえばまだ軍国主義体制が強固ではありません。
「移籍は父親の配慮と考えるのが一番近い」のではないかと言われています。