高田宏「日本海繁盛記」ー江差町

高田 宏(たかだ ひろし)
1932年 – 2015年    編集者・作家、随筆家。

京都市出身で石川県加賀市育ち。京都大学文学部仏文学科卒業。

1955年に光文社に入社し雑誌『少女』の編集者となる。のち雑誌『マイホーム』の創刊に関わる。1962年にアジア経済研究所入社して雑誌『アジア経済』の編集長となる

「北前船は他人の商品を運んで運賃を稼ぐ船ではなく、自己資金で買い入れた商品を他地へ運んで売りさばき、その差額を儲ける買積み商船である。船会社と商社を一つにしたようなものだ。北前船は俗に千石船とも呼ばれるが、明治期に様式帆船や汽船を併用するようになっても、それらの船はすべて北前船である。
北前船というのは、その商業形態を呼ぶ名称である。

大坂(大阪)を春の彼岸頃に出港した船は、瀬戸内海の港々に寄港してから下関を廻って日本海に出、取り引きのある各港に寄りながら北海道へ向かい、江差、福山(松前)、箱館(函館)などの港に入って積荷を売りさばいてから五月六月に穫れるニシンの〆粕などを仕入れて夏のうちに北海道を出帆して帰路につく」