平林たい子「トラピスト修道院」ー函館市

平林 たい子(ひらばやし たいこ)
1905年(明治38年) – 1972年(昭和47年)
小説家。本名タイ。

現在の長野県諏訪市出身。貧しい農家に生まれ上諏訪町立諏訪高等女学校に首席で入学。
職を転々としながら、同棲、離別、検挙、生活破綻、中国大陸や朝鮮での放浪などを経て、その体験から『嘲る』『施療室にて』を発表。
プロレタリア作家として出発し、社会や人生の不条理を描いた作品で知られた。没後日本芸術院賞恩賜賞を受け、遺言により平林たい子文学賞が設定された。
諏訪市福島に「平林たい子記念館」がある。

平林たい子の紀行文に函館の「トラピスト修道院(トリピスチヌ修道院)」があります。

「函館郊外湯の川の温泉街を出、十五分ばかりの坂道をのぼって行くと風見鶏のついた尖塔をいただく赤煉瓦の重厚な建物の一群が見える。まわりを取りまく何十町歩の耕地にも、厚い堅牢な石の高塀がぐるぐるとめぐらされて、内部をのぞくよすがはない。これぞ、通称トラピスト修道院(シトー会天使園)である。私は戦前と戦後との二回、ここをおとずれた。
戦後の訪問には、特に園内の一泊も許されて、鉄格子にへだてられた幕のすきまから厳律にとざされた歌隊修女の勤行の有様を垣間見ることができた」

「この一部の中にだけは、宗教的貴族と宗教的農奴とが今尚完全にのこっていた」