豊浦町文学碑公園ー豊浦町

列車の車窓から映った作品だけを集めて文学碑の公園にしたのは、全国的にもこの豊浦町だけでしょう。

三基が建ち、解説板が添えられています。

与謝野寛・晶子

与謝野寛・晶子の歌碑

「有珠の峰 礼文の磯の大岩の ならぶ中にも 我を見送る」 寛 

「数しらぬ 虹となりても 掛かるなり 羊蹄山の 六月の雪」晶子

与謝野夫婦が北海道を旅したのは昭和6年5月でした。寛58歳、晶子53歳。室蘭を経て洞爺湖を後にして、長輪線で豊浦を通り過ぎたのは6月5日のことでした。

 

斎藤茂吉

斎藤茂吉の歌碑

「白波のとどろく磯にひとりしてメイコ居たるを見おろして過ぐ」 歌碑

茂吉が弟と共に北海道を楽しんだのは50歳の時で、昭和7年8月~9月でした。中川町に住む兄を訪ねるのが目的で、長輪線で東室蘭から長万部へ抜けたのは9月3日のことでした。

 

 

 

伊藤整

伊藤整随筆碑

「五月の初め頃、私は噴火湾の沿岸をとおって函館の方から札幌への汽車に乗った。(中略)初めて乗るこの長輪線と言う海沿いの汽車の風景が、風景そのものの楽しさで眼に映った。窓からの風景をたのしむことのできる汽車に乗ったことを、私は珍しいと思った。

静狩のトンネルの話は以前に聞いていた。それが長さにおいて北海道一とか全国一とかいうことであった。この線の起点である長万部からすぐ、この有名なトンネルに来かゝった。(中略)

この線に沿うた土地は北側に有珠火山などの山を負い、南は暖い噴火湾に面しているので、 北海道でも一番暖い土地であるという。汽車が東方室蘭を指して進むにつれて、暖い土地という感じがよく出ている。静狩の崖を過ぎると麦は秋蒔きのものがよく成育している。札幌、小樽附近に較べてその成育ぶりはまことに早い。なだらかな丘が起伏しながら左方の高地から右手の海岸に続き、その所々に岩が奇怪な形で突き出ているのが、やっぱり火山の裾野地帯であることを思わせる。(中略)右側には、海が近くなったり遠くなったりしながら続いているが、湾内の水というのは沼のような感じで静かだ。」千歳線風景の一部

小樽で育った伊藤が長輪線に乗ったのは昭和21年(41歳)の敗戦直後で、北海道大学で教鞭をとっていた時でした。