武田泰淳「ひかりごけ」ー羅臼町

武田 泰淳(たけだ たいじゅん)
1912年(明治45年) – 1976年(昭和51年)
小説家。浄土宗僧侶。大正大学教授。幼名覚。

東京市本郷区(現・東京都文京区本郷)にある浄土宗の寺に大島泰信の三男として生まれる。
第一次戦後派を代表する一人。左翼運動から離脱後、泰淳と改名。得度した。

ひかりごけ』は、1954年(昭和29年)に発表された、武田泰淳の短編小説。ひかりごけ事件をモチーフにしたレーゼドラマ(演じるより読むことを目的とした作品)。映画化などもされている。

「ひかりごけ事件」とは、昭和19年5月に目梨郡羅臼町で発覚した死体損壊事件のこと。日本陸軍の徴用船が難破し、真冬の知床岬で危機状態に置かれた船長が、船員の遺体を食べて生き延びた。
日本の歴史上、食人は幾度と発生したが「食人によって刑を科せられた初めての事件」。日本の刑法には食人に関する規定が無いため、釧路地裁にて死体損壊事件として処理されました。
名称は、本件を題材とした武田泰淳の短編小説『ひかりごけ』(1954年初出)に由来

マッカウシ洞窟は羅臼市街地から4キロほど知床半島突端寄りの海際にあります。直径20m、深さ50mの洞窟は昭和38年に道の天然記念物「羅臼のひかりごけ」となりました。今は鉄柵で塞がれて中には入れません。

武田泰淳が洞窟を訪れたのは昭和28年9月、41歳の時でした。
中学の校長の案内で洞窟を見学に行った時の紀行風に語ったものです。

「岩壁のどんづまりは、背をかがめるほど低いが、穴の大部分は横も縦もかなりひろく、庭石にしたいような平たく、大きな岩も、洞のなかにほどで、地面にうずまっています。岩壁も地面も濡れて、水滴をしたたらせる。緑色のこけが、岩肌にも地面にも生えてはいますが、光る模様もない。近寄って、さわって見ると、指の感触は平凡な苔と同じことです」
洞窟をしばらく歩き回ったが、なかなか発見できず、「自分の姿勢や位置や視線の方向を、色々と工夫したあげく、私は立ちすくんで、探すのを止めました。すると、投げやりに眺めてやった、不熱心な視線のさきで、見飽きるほど見て来た苔が、そこの一角だけ、実に美しい金緑色に光って来ました」

「光というものには、こんなかすかな、ひかえ目な、ひとりでに結晶するような性質があったのかと感動するほどの淡い光でした。苔が金緑色に光るというよりは、金緑色の苔がいつのまにか光そのものになったと言った方がよいでしょう。光りかがやくのではなく、光しずまる。光を外へ撒き散らすのではなく、光を内部へ吸い込もうとしているようです」

羅臼町の旅(ひかりごけ)