西野辰吉「東方の人」ー月形町

旧樺戸集治監前にある月形潔胸像

西野 辰吉(にしの たつきち)
1916年 – 1999年  小説家。

北海道初山別しょさんべつ村の貧しい開拓農家に生まれ、小学校高等科卒業後、職業を転々とし、第二次世界大戦後、日本共産党に入党。

『米系日人』(1952)が占領下の現実を描いて好評を博し、『秩父困民党』(1954~56)で毎日出版文化賞を受賞。
『東方の人』では大逆事件、『挑発者』では昭和の革命運動の内部を描いています。
1969年、文学同盟を退会したあと共産党を離党し、その後は文学運動とは無縁のままに創作活動をつづけました。

樺戸集治監は月形町にあり、明治14年に建設され初代典獄である月形潔から付けられました。昭和41年に出版された「東方の人」は、名古屋事件によって服役した自由民権思想家である奥宮健之の物語です。

「創監いらい13年を過ぎた、明治27年11月3日の午後、囚人の奥宮は監からよびだされた」ではじまります。

「村の開拓にもいちぶの囚人をさいていたので、ここは流域のなかのもっとも大きな、活気のある村落にかわっていた。その後しばらくたって、月形は札幌につぐ文化のすすんだ土地だというような話が囚人の耳にもはいったりするようになるのだが、開拓もすすんでいたし、汽船が石狩川をさかのぼってくるので物資の集散地になっているだけでなく、大井上が典獄になってから監獄で工事をやったついでに市街地に水道管が敷設されたり、教会が建てられたりしていた。」

「雪のとけた石狩川に汽船のさかのぼってくる光景とかさなりあって、汽船にのって江別へくだるかもしれないその機会のことがうかんできていたのだった。領置品倉庫にしまいこまれている着物をきて、江別へ汽船でくだる。そこから汽車で札幌へゆき、小樽港から内地ゆきの汽船にのるというコースは、もうひとつの脱獄したばあいのコースといっしょに、くりかえし頭にえがいてきたものだった。」