長見義三「アイヌの学校」ーむかわ町穂別

長見 義三(おさみ ぎぞう)
1908年 – 1994年  小説家。

夕張郡長沼町生まれ。
1928年「母胎より塚穴へ」が「小樽新聞」の懸賞小説1等入選となる。
上京して谷崎精二に師事、早稲田高等学院卒後、1938年早稲田大学文学部仏文科卒。
1939年『姫鱒』で第9回芥川賞候補。
敗戦後は千歳市の米軍キャンプで通訳を務める

 

鵡川町と旧穂別町が合併してむかわ町穂別になりましたが、穂別町は独立した時代が長くありました。鵡川は川の名で太平洋の河口に鵡川町があり、上流に穂別町が有りました。長見義三については次の「白猿記」でも書いてあります。
長見義三「白猿記」ーむかわ町穂別

『アイヌの学校』は大観堂から1942年に出版されました。

穂別は胆振管内の最東端の北部にあり、山を一つ越えるとアイヌの聖地といわれる平取町です。長見はアイヌ民族の心情にわけ入り、和人との接点を通じてその民族の美しさと悲しみを描いた作家です。

鵡川川の岸で段丘のある場所の上に累標るべしべコタンがありました。ここは現在の穂別和泉にあたります。
かつて鵡川小学校の分教場として累標小学校が建てられました。
この学校ははじめ旧土人小学校でしたが、普通の尋常小学校、国民学校、和泉小学校と変わっていきます。
ところが、大正の終わりに鉄道が通り和人が大勢入り込みます。累標の対岸には杵臼駅ができて、和人の子供が増えるとアイヌの学校と思われていた累標小学校の移転問題が起きました。
小説は、この移転の阻止に駆けずり回り成功した和名・住吉長太郎がモデルとなって書かれたものです。