三木澄子「流氷が来て、“しばれる”網走の朝」ー網走市

三木 澄子(みき すみこ)
1908年1月2日 – 1988年4月16日
児童文学作家。長崎市生まれ

1926年、菊田一夫、安藤一郎らとともに詩の同人誌『花畑』を創刊。
1941年、小説「手巾の歌」で第13回芥川賞候補。
1974年、網走市に移住。
その後も数編のジュニア小説を発表。
1982年、児童文化功労者。
1984年、『文芸網走』で「晩祷」の連載を開始するが1988年市内の喫茶店で倒れ、心不全のため死去

昭和47年の出版「流氷が来て、“しばれる”網走の朝」から

「刑務所。吹雪。さいはて。網走を知らない人々は、厳寒の頃になぞ、寄りつけたものではない土地だと、想像する。来る日も来る日も、空は低く灰色で、雪を降らせ寒気は救われ難く身を締めつけ、刑務者たちは息もたえだえに呻吟している。と思うらしい。
網走に、ことに真冬の網走に、憑かれて十余年、三分の一くらいは、そこの住民になってしまった私は、絶対にそうではないと知ってもらうには、何からどう書き出したものかと、一種の焦燥に駆られるのである」

「初夏から秋までの空からの眺めは素晴らしい。右の窓はるかに阿寒の山々や斜里岳が見える。そして、知床連山、トーフツ湖。左の窓から眺められるのは、紋別の港、サロマ湖、能取湖、網走湖、そしてオホーツク海の緑を帯びた深い青。大らかな森と広野。一月もなかばを過ぎると、そのオホーツク海に流氷がやってくる。接近する時の音響は凄い。文字通り目に見えるのは、氷山に沈んでいる部分は数倍だから、くぐもって相衝つ響きは、無数の寺院の鐘の音、と形容したくらいではすまない。流氷がやって来て住民の生活や風俗が、何処に近代化しようとも、網走の自然の美しさ、凄まじさ、やさしさ、特異さは、普遍である。網走湖は何とも明るい湖で、真白に凍結してもそれは変わらないし、寒気きびしい朝の、日光にきらめく木木の霧氷の抒情的な美しさもこたえられない。
「こうお国自慢が過ぎるのもどうかと思うので、マイナス20度は、厳然として20度である事実を、述べておこう」。