岡田三郎「地獄絵」ー松前町

岡田 三郎(おかだ さぶろう)
1890年(明治23年) – 1954年(昭和29年)64歳没。小説家。
北海道松前郡福山町(現・松前町)の鰊の漁師の家に生まれる。家は近江商人の家系。14歳で小樽に移住。庁立小樽中学校(現在の小樽潮陵高等学校、校歌を岡田三郎が作詞している)を卒業し小樽で税務署員を務め、旭川で兵役につく。
早稲田大学英文科在学中に『涯なき路』『影』を発表して文壇に登場。

北海道最南端の町、松前町は唯一の城下町です。松前藩がこの地に館(新城)を築いたのは1606年でした。福山城と名乗りましたが、福山を松前と改称したのは昭和15年のことです。

大正から昭和にかけて作家として活躍した岡田三郎は明治23年の生まれで、祖父は近江商人で、代々鰊漁と回送を稼業とし、父の代には漁船十数隻を持つ大網元でした。生まれた家は、城門前の坂をくだって右側の老松に囲まれた別荘だったといいます。
しかし、明治29年松城小学校に入学したころから家業が傾きはじめました。

地獄絵から

「五百石積千石積の廻船問屋から、のちには蒸気船の海運廻漕業、ほかに漁業、また太物商と、維新前から繁栄をきわめ、町随一の家名をうたわれた鉄太の家も、鉄太の父の代になって、以前からゆるぎだしていた礎石が矢継ぎ早に崩れ、ついに持船から家屋敷、店舗、宏壮な別邸にいたるまで、ことごとく人手にわたり、町を去って山深い一軒家に一家をまとめて引移らなければならなくなったのは、日清戦役後まもなく、鉄太が小学生になりたての時分であった」