坂東三百「兵屋記」ー旭川市

板東三百(ばんどう みつお) 
1906(明治39)年9月1日〜 1946(昭和21)年10月15日 
上川郡永山村(現 北海道旭川市)

屯田兵二世として、父 赤坂幸太、母 まさの六男として生まれました。後に、叔父で士族の板東平吉の養子となり、旭川中学から山形高校、東北帝国大学国文科卒。宇野浩二に師事し、卒業後は教員として生計を立てました。
室蘭中学校勤務時代に、永山兵村を題材とし開拓農民の浮沈みの人生を描いた「兵村」が1939(昭和14)年度の芥川賞候補となりました。
上京後、第二創作集『兵屋記』が1944(昭和19)年、第1回歴史文学賞候補となり注目されましたが、40才で没しました。

「兵村記」から

旭川市・屯田兵舎資料館

主人公新田源作は淡路島の農民で、六人家族の暮らしは貧しかった。明治24年6月、屯田兵募集を知った一家は小さな田畑を捨てて移住をきめる。小樽港に上陸すると、これから入植する屯田地の兵屋番号のくじ引きがあり、それから二カ中隊400人の兵員とその家族は10日間に分かれて無蓋貨車に積まれ、終点の空知太駅(砂川駅)まで行き、そこから空知川を渡って入植地まで16里を強行軍した。