道立北海道文書館(もんじょかん)が、1960年代の半ばに民放テレビ局が制作した「新たに視聴区域となった市町村の紹介番組」のフィルムを保管していました。半世紀も前の65市町村の映像ですから、今は失われてしまった町や村の風景です。ネットに載せることはできませんので感想を含めて紹介します。

尚、このCDは現在「北海道立図書館北方資料室」にあります。
私が借りた時は「北海道立文書館」でしたが変わりました。

 

広尾町 1965年(昭和40年) 18分 白黒  音声あり  

広尾の映像は2本あります。2本あるのは広尾町だけでした。
もう一本は「広尾の観光」です。

海の町広尾・十勝の窓
昭和40年の映像ですから今から55年前の広尾町です。
人口13000人で「十勝の窓」と話しているところが印象的です。今でこそ広尾には「アグリポート十勝港」できましたが、この港ができるのは5年後の昭和45年のことです。
昭和37年、広尾町が躍進する原動力として2000tクラスの港を作ることが夢でもあったからでしょう。
元々、十勝の国は太平洋に面していますが沿岸は浅瀬で大型船は近づくことができませんでした。十勝港を目指して建設工事がはじまっておりその工事風景が映されています。

広尾における蝦夷時代を紹介しているのは、円空の木彫と十勝神社に奉納した近藤重蔵の道路開削程度でした。
これは、広尾町の十勝神社に「東蝦新道記」と刻まれた版木が現存しています。幕臣である近藤重蔵の従者が刻んだ漢文で、これが北海道初の道路建設を示すものだといいます。
近藤重蔵は択捉に渡り「大日本恵登呂府」を立てたことで知られていますが、その帰路、広尾から日高に抜ける険しい海岸線に新道の開削を命じました。アイヌ民族68名に賃金を支払い、十勝のルベシベツから日高の境ピタタヌンケまでの山間部を切り開きました。その経緯を木版に刻み、十勝神社に奉納しました。

日高山脈からの森林伐採による木材工場では「パルプ材」の生産を行っています。

酪農では、畜産センターをつくり観光名勝として牛800頭。
珍しいのは、酪農の放牧のために森林伐採に自衛隊の応援を頼み火炎消火器で山を焼いています。

街の紹介
体育館や総合病院。老人ホームに慰問が訪れて楽しませている風景がありました。

黄金道路
黄金道路は「日本百名道」に選ばれています。昭和2年の着工から8年もの歳月を要して断崖を切り開く難工事の末に開通したことが知られております。広尾橋からえりも方面へ車で5分程走るとフンベ地区に入り「フンベの滝」があります。この滝が観光として映し出されています。
滝の流れは地下水が湧き出したものが、直接道路脇に落下している珍しい滝で夏は涼を呼び、冬は氷柱となって自然の造形を楽しませてくれます。

                               以上