道立北海道文書館(もんじょかん)が、1960年代の半ばに民放テレビ局が制作した「新たに視聴区域となった市町村の紹介番組」のフィルムを保管していました。半世紀も前の65市町村の映像ですから、今は失われてしまった町や村の風景です。ネットに載せることはできませんので感想を含めて紹介します。

尚、このCDは現在「北海道立図書館北方資料室」にあります。
私が借りた時は「北海道立文書館」でしたが変わりました。

 

大成村 1965年(昭和40年) 18分 白黒  音声あり 札幌テレビ放送

この映像は1965年の大成村です。
大成村は平成17年9月1日に北檜山町・瀬棚町・大成町の3町が合併し「せたな町」となり、久遠郡せたな町の合併特例区の一つとして「大成区」となりました。従って、これは昭和40年の映像ですから「大成村」自治体の時で、翌年に町になります。
たいせいの名は、昭和30年に久遠村と貝取澗村が合併した際、村の発展を願って名付けられました。

大成村は漁業で栄えた村であることが良くわかります。
特に久遠(くどう)漁港の繁栄が克明に映されており、年間3000トンの水揚げでした。

大成地区の歴史は古く1719年、西蝦夷地(日本海側)への追鰊が緩和されると、ニシンを求めて和人の出稼ぎが多く訪れるようになります。1840年には爪網、1849年には建網を使用する者が現れ、ニシンの漁獲も著しく増加しました。
明治に入ると、従来からの者はそのまま定住。出稼ぎ者も東北・北陸から移住しはじめ人口が飛躍的に伸びます。
明治13年、久遠・奥尻・太櫓・瀬棚4郡役所が設置されるという歴史があります。

久遠漁港の昭和40年の水揚げ高は2億円。タラ・イカ・ウニ・マグロ・サンマと多彩ですが、特にイカの漁獲量が多く、村人は総出の人海戦術が良くわかります。昭和39年に防波堤が作られたのが大きかったようです。

現在の久遠漁港は釣り人に人気の漁港です。釣れる魚種が豊富で、ロックフィッシュやカレイ類、ホッケ、マメイカ、ヤリイカがねらえて、特にホッケとマメイカは3桁釣りもねらえます。また、直ぐ横にある上浦漁港も同じような釣果が期待できます。

大成区と言えば「親子熊岩」が町のシンボルとなっていますが、この映像にもありました。
また、日本海に面する檜山自然公園で海岸線は奇岩や岩礁が連なる景勝地で、村は大部分が傾斜地です。
この自然を活かした行楽を楽しむ様子で時代を感じることができます。

中学陸上競技大会の様子があります。昭和40年といえば、集団就職も本格的になっている時代です。どこの街でも運動会といえば、地区対抗で盛り上がりました。そのような光景が見られる最後になるでしょう。

太田神社

太田神社 灯台

航海の安全を祈り「猿田彦大神」を祀る太田神社の拝殿。道内最古の山岳霊場であり、その本殿のある場所が、日本一危険と形容される「太田山神社」。
今は信者も少なくなったと聞きましたが、この当時の参拝風景が映し出されています。これは貴重な映像といえるでしょう。
現在、道道740号が開通していますが、当時は小舟で太田港に上陸でした。
少人数であれば、定山坊(定山渓温泉の開祖)が開削した道もあるでしょうが、大人数ともなれば無理です。6月28日に村人が押し掛けます。急な階段、そうしてしがみ付くようにして崖を這い上がる光景が圧巻です。