梅谷松太郎(子母澤寛)の母・三岸イシは生まれたばかりの我が子を置いて札幌に駆落ちするのですが、本籍を七飯村から厚田村16番地に転籍しています

そうして、三岸好太郎を産みます。
好太郎は一度も訪れたこともない厚田の地を出生地とし「石狩ルーラン16番地」と直筆で年譜に書きました。これには理由があるようです。
「ルーラン」という場所は厚田村にありますが、アイヌ語で崖をさす場所のことで地名「石狩ルーラン16番地」はありません。イシが厚田村を好太郎に語るときに「ルーラン」と聞かせていたのかも知れません。
また、梅谷十次郎に反対され逃げてきたイシたちの人生は悲惨がもので、好太郎は「ルーラン」という響きに何がしかの夢を持ったのかもしれません。

三岸好太郎は明治36(1903)年、薄野で生まれました。
父親の橘巌松は旧加賀藩前田の御殿医の生まれで、医学修業中に吉原遊郭通いで身を持ち崩して石狩へ流れ着き、十次郎の営む料理店で働いていた人物です。
イシと札幌に駆落ちして薄野の大妓楼「高砂楼」の番頭を努め、好太郎が13歳の時に亡くなります。イシは好太郎を育てるために、遊郭から離れた場所に下宿を借りて住まわせていたといいます。

父親の橘巌松が亡くなると、母イシは質屋に住み込みで働き始め、当時札幌で所帯を持っていた11歳上の異父兄・梅谷松太郎(子母澤寛)に育てられることになりました。

写真は厚田のルーラン海岸です