札幌から北に2時間ほどで滝川市です。滝川市の西側を石狩川が流れ、川が境界になって妹背牛町、雨竜町、新十津川町と下ってきます。
滝川の市街地から新十津川町に行くには「石狩川橋」があります。北海道最大の大河石狩川に初めて大橋を架けたといわれた「橋」です。
この町には「日本一早い最終列車の出る駅」として知られるJR札沼線「新十津川駅」がありました。しかし、2020年5月7日に廃線・廃駅となりました。

新十津川開拓記念館

30年以上前になりますが、私の先祖が十津川村だというので新十津川町を訪れたことがあります。
開拓記念館で「私の先祖について聞きたいのですが」と名刺を出すと、「あ~、上家さんですか」と初対面とは思えない声が返ってきました。

どうぞ、どうぞと室内に招かれ、明治22年十津川村から移籍した戸籍簿600戸2489人を持ってきました。更に、家系図のような巻物を広げて調べ始めました。二人がかりで丁寧に調べが終わって顔を上げ「上家さんは3戸入っていますが、最初に入植したメンバーではありませんね」との結論に至り、戸籍簿と十津川村史をコピーして渡してくれました。

「十津川村の人たちは、筏流しと木こりが生業でしたから開拓に入って原始林を切り開くのは得意でした。平地で木を切るのですから、十津川村と比べると楽なものです。しかし、農業は全く経験がなく苦労されたようです。農業を諦めて剣の道場や教育者の道を選ぶ人もおりました」と話してくれました。

新十津川物語

新十津川町は人口減少対策の一つとして、町議会で20数年前にドラマ化した「新十津川物語」の再放送をNHKに依頼してはどうかと提案がありました。
その働きかけもあってか北海道150年(2019年)の一環として北海道LOVEテレビ(NHKローカル版)で4月から6回に分けて再放送されていました。

「新十津川物語」とは、奈良県五條市出身の川村たかしの児童文学作品です。第1巻「北へ行く旅人たち」に始まり最終巻「マンサクの花」の長編10巻です。
明治22年(1889年)、十津川村は集中豪雨に見舞われ3分の1の人達が家を失い、その土地で住む事を諦め北海道へ移住を決意。主人公である9歳の津田フキも両親を失い、兄と共に移住し自然や大地と格闘しながら新十津川村を開拓し第一世代の住民となります。物語は翻弄されるフキの80年近い人生を描きつつ、フキの子供時代や子・孫・曽孫、波乱万丈の日本の近代を生き抜いた人々の姿を描いています。
(NHKが平成3年~4年にかけて明治・大正・昭和と各2編6編で全国放映)

開拓をテーマとした小説やドラマがありますが、そのほとんどが開拓民として過酷な現実に耐え、前向きに生きていくというものが多いようです。テレビドラマの新十津川物語も原作とはズレがありました。

十津川村

明治22年の集中豪雨時に、私の祖父は14歳、その後祖母となる女性は12歳でした。十津川村民であった二人は、豪雨が起きた時に津田フキよりも年上で山津波(土石流)を生き延びた人です。
祖父の生家は、フキの家があった谷垣内地区から直線距離で約6㌔の小山手地区でした。
その後、夫婦となった祖父母一家が十津川村を後に北海道に渡ったのは24年後の大正2年祖父38歳、祖母36歳でした。(私の父は4歳)

昭和5年、祖父は第二の故郷上士別村南沢において55歳で亡くなりました。開拓に入って17年目でした。残された祖母ハルは、27歳の長男と6人の子供たち(私の父は20歳)で引き続き開拓を続け81歳(昭和33年)で亡くなります。

祖母ハル(本家のばあちゃんと言っていました)は、私が小学校に上がる前の4~6歳くらいの時によく手製の草鞋を何足も持って遊びに来ていました。
絵を描いていた私の側にきて優しく「ふみおは~」と語りかけた声が未だに耳元に残っています。

私は、この十津川村の災害がどのようなものだったのか?なぜ、十津川村の人たちは明治の新政府に手厚い保護の上で移住できたのかを知りたくなりました。
新十津川物語とは別な角度から、十津川村、集中豪雨、先祖が故郷の村を去る。そうして郷士といわれるようになった十津川村について興味を持ちました。

平成30年となる今の時代から考えると江戸は遠い昔のように思いますが、祖父のことを調べていると、そう遠いように感じません。祖父が生まれた時に、札幌の琴似に最初の屯田兵が入植しました。
その8年前までは江戸時代で、高祖父は江戸を生きていたのです。坂本龍馬が暗殺され、戊辰・箱館戦争と続き祖母が誕生した10年には西南戦争で西郷隆盛が亡くなった年です。
私たちは明治維新といえば、今に繋がらない隔離された日本史のように考えがちです。しかし、これは間違いで先祖の生き様はおのずと祖父母から父母へと引き継がれていると思えます。

新十津川町の開拓記念館でいただいた、十津川村の資料を読むと村の歴史は古く古事記からはじまっていました。
今なお日本の秘境といわれる十津川村の歴史を紐解きながら、新十津川村が誕生するまでを書いてみたいと思います。

写真は新十津川尚武館です。十津川郷士の気概を忘れまいと剣道の町でもあります。この建物は今はありません。この道場で十津川村から移住された高齢の師範代にお話しを聞かせてもらったことがあります。平成24年に別の場所に新築されました。