十勝国の内陸地に和人(日本人)で最初に踏み込んだのは探検家松浦武四郎でした。
この大平原を肥沃の大地であることを宣言した人物は二人いました。
一人が松浦武四郎、もう一人は明治維新後日本に来た開拓使最高顧問のホーレス・ケプロンです。
 
武四郎の実際の踏破は安政5年(1858)2月から3月にかけてでした。冬は、それまで一度もなかったので望んでのことでした。

石狩河口港(現石狩市)から、石狩上流チクベツ番屋(今の旭川)を経て、富良野盆地方面に向かい、川を遡って十勝山系の裾伝いに国境を越えて十勝(現新得町)に出ました。
そうして更に十勝川筋を下って、海岸十勝川河口(大津)までの行程です。
極寒期で未だ寒く、しかも歩行には条件の悪い融雪期でもありました。
(旭川から十勝へは1858年3月5日~3月18日)

この後、武四郎は十勝から釧路に向かい知床へ、そうして宗谷と回り、天塩を南下して石狩に戻り、千歳から胆振に入り松前と蝦夷を一周。

更にその数ヵ月後に再度十勝原野を訪れます。今度は太平洋側広尾から北上の探検でした。よほど、十勝が気になったのではないかと思えます。
それにしても、身長1m45cmの武四郎はよく歩きます。