二宮尊親 

明治29年(1896)、二宮尊徳(金次郎)の孫である尊親が牛首別(現豊頃町)を訪れ依田勉三と交友が始まります。明治16年以来孤立していた勉三にとっては、ようやく気持ちが通じる人との出会いでした。
勉三は大樹町ですから、豊頃町と(現幕別町忠類を挟んだ町)良く行き来したと思います。
 
二宮尊親(そんしん)は報徳思想によって農村復興を指導した二宮尊徳の孫にあたる人です。幕末に二宮尊徳(金次郎)は藩の立て直しに幕府の要請で指導にあたっていました。報徳思想とは、江戸時代末期の農政家二宮尊徳の考えを実践することであり「以徳報徳」に由来します。
尊親の父親、尊行が相馬藩(福島県)に招かれ、相馬に移り荒廃した農村を救った話はよく知られています。しかし、明治維新とともに藩は廃止となり、尊親は相馬の農民19戸と「興復社」を結成し、新天地を目指して豊頃村牛首別に移住しました。明治30年のことでした。
報徳思想は実を結び、翌年14戸が合流し明治35年までに160戸が移住。

北海道ゆかりの人たちに二宮尊親を書いています

豊頃町には、二宮という地名が今も残っています。