十勝分監創立 

1895年(明治28)4月1日、北海道集治監としては最後になる五番目の十勝分監が開庁しました。

刑期12年以上の重罪犯の収容のため、入所者は多いのですが出所する者は少ない刑務所でした。分監の所有地は、現在の帯広駅北部の十勝川から、柏林台団地・競馬場・緑が丘・駅南・自衛隊・南町・自由が丘などすべて、南部一帯は囚人により農耕地として開拓されました。 

当時の一般住民は上川・河東・河西の三郡で約800人。これに対して、十勝分監は囚人1200人、職員500人で倍の人数が一挙に帯広に流入したのです。  

現在の大通(当時は監獄道路と呼ばれていた)が整備され、市街地誕生の基礎となりました。更に、依田勉三が嘆願していた大津までの道も囚人によって開削されました。

以後、下帯広村は、明治35年(1902)に十勝で最初の町となり、昭和8年には市制が施行されます。これらの土地は明治40年に鉄道が開通し、徐々に土地所管換えをして昭和51年に全て市に明け渡されることとなりました。