海路を選んだ人たち  
 
海路で大津港に向かった一行も容易な船旅ではありませんでした。
函館から船に乗った11名は、日光丸が風帆船で出帆して6日目、海がナイで進まず、幌泉(襟裳)の入江に寄ります。
襟裳岬でさえぎられた潮流が複雑な渦となり、この岬特有の強烈な突風が吹き始めました。

「上陸しろ」と叫ぶ者、船から飛び降りかける者と、船の上は修羅場となりました。決然と錨綱を切って帆をあげた船長の英断がなければ、船はこなごなに砕けていたといいいます。

結局、11名は猿留(今の黄金道路)で船を降り二手に別れ、海づたいに大津を迂回し、アイヌ人に支えられて5月14日にたどり着きました。

一ヶ月の旅でした。

海路を選んだメンバー 
 ・渡辺勝         晩成社幹部   
   ・山本初二郎(48)    農商・炭焼
            妻トメ(46)    長男金蔵(13)    次男新五郎(6) 
   ・土屋広告(24)         農業   
   ・山田彦太郎(32)      農商 農業
            妻セイ(27)    長男建治(4)      次男扶治郎(1)  
   ・高橋金蔵(52)         農業 

 4月11日に函館に27名が到着してから、帯広に全員が揃ったのは40日後の5月20日でした。

写真は、現在の襟裳岬百人浜
名前の由来は、1816年(文化13年)南部藩の御用船が難破し乗員100人の多くがこの浜に打ち上げられたことからです。