明治23年<タコ部屋制度>

写真は天北線(旧宗谷線)建設のたこ部屋跡です。

北海道の基盤工事を受け持った囚人外役労働の廃止にともなって、拘禁・強制労働のタコ部屋が鉄道工事に発生しました。

以後、労働形態として、鉄道・道路・港湾・用水溝工事にたずさわることとなります。

タコ部屋制度は、60年間にわたる長い期間、生成・確立・再編・沈衰・再建・消滅の過程を歩みます。
その間、一貫して最低辺労働者として人権を無視され、過酷な労働を強いられることとなりました。

酷使・人権無視の労働を産み出すタコ部屋制度の特徴とは次の三点です。
   ①小資本の土建飯場の労資関係から生まれた拘禁労働。
   ②それが土建業に特有な前近代的な下請け制度の上になりたっている。
   ③人集めが前借金を口実にした「周旋」という名の誘拐や暴力によっ
     て行われたところにある。

監獄のような権力支配によらずに、何十何百人の働き盛りの男達を一室に監禁し、14時間ないし16時間こき使うためには、あらわな暴力支配によ階級秩序が重んじられました。
この秩序をおかす者には、死の制裁が加えられました。