明治23年<網走刑務所>

明治23年釧路集治監網走分監、網走囚徒外役所として開設。
網走刑務所(あばしりけいむしょ)は、札幌矯正管区に属する刑務所。

設立当初は、刑務所というより凶悪犯と政治犯が同居する強制収容所といっ
た趣が強く、収容者は情け容赦ない労働を強いられました。
特に、160km以上に及ぶ中央道路(現在の国道333号~道道103号~国道39~道道104号~道道104号の一部)を8ヶ月で突貫工事で完成させた際には、分かっているだけで200名前後の収容者が死亡。
1000名以上の囚人が道路建設に関わりながら、その後行方不明になっている
道路沿いの畑から、手鎖、足鎖を付けた状態で白骨化された遺体が出土した
り、荼毘に付されることもなく道ばたに埋められ土饅頭として残る墓など、
厳しい労働条件を示す痕跡が現在も残っているといいます。

かつては日本で一番脱獄が困難な刑務所だと言われ、明治の脱獄王「西川寅
吉」(模範囚として過ごし釈放)や昭和の脱獄王「白鳥由栄」(脱獄に成功
吉村昭の『破獄』で取り上げられた天才脱獄囚)らが収監されました。

網走番外地

また、施設の劣悪さと凶悪犯が多いというイメージから映画『網走番外地』
シリーズの舞台ともなっています。

なお、映画「網走番外地」シリーズでは、所在地は網走市番外地となっているが、刑務所の所在地は、正しくは網走市三眺地区であり、住居表示では、網走市字三眺官有無番地となっています。

左の本は「網走刑務所博物館」に展示しています。