北海道人のルーツ 8

奥羽越列藩同盟に参加していた松前藩は、1868年7月末に「勤皇派」の正義隊がクーデターを起こし、藩政を掌握、維新政府側に転換させ、反対派を大量に逮捕・処刑するという混乱の中にありました。

こうした中、旧幕府軍が鷲の木に上陸し、峠下(七飯町)で箱館府兵を破り、五稜郭を占拠、同年11月1日には榎本武揚は五稜郭に入城。

松前藩はこれらの動きに備えて、現在の厚沢部町に新規に構築しつつあった館村新城(館城)に、藩主および藩の主力は移動していました。

11月1日、榎本軍の軍艦蟠竜が松前を砲撃。
松前藩は奇襲するも撃退され、11月5日に松前に土方歳三を総督とした彰義隊・額兵隊・衝鋒隊などからなる700名が搦手門から攻めてきました。
家老蛎崎民部を中心に五百名あまりが籠城した松前城は、その構造が搦手門からの攻撃をほぼ想定しておらず大砲で抵抗しますが数時間のちに開城。

藩兵は城下に火を放ち、江差方面へ退却。

一方、榎本軍の別働隊500名が藩主松前徳広の逃れた館城攻略に来襲。
しかし、藩主らは12日に西在熊石村に避難済みで城には60名ほどが籠っていただけでした。
11月15日午前9時頃攻撃が開始され、1時間ほど激しい銃撃戦が続いた後、表門の下の隙間から侵入した旧幕府兵が門を開け、兵が乱入し落城。

文学と映画の旅 144 (司馬遼太郎「燃えよ剣」ー松前町)