石狩川右岸シペツプト(現月形町)<樺戸集治監>

樺戸集治監が石狩川右岸シペツプト(現月形町)に7400坪の全国一の規模で設置されました。

工事の請負業者は大倉組商会(現大成建設)で、建設予算は10万円。
初代典獄(刑務所長)は月形潔
収容人数は、最高2,365人(明治22年)通常1,300人程度が収容されていました。
後に樺戸監獄署、北海道集治監樺戸本監、樺戸監獄と名称が変更され、1919年(大正8年)1月に廃止されました。

月形町の由来は内務省御用掛権少書記官から樺戸集治監(明治14年~大正8年)の初代典獄に任ぜられた月形潔氏の姓を取り、明治14年7月1日、空知支庁管内第1号の村として誕生しました。
樺戸集治監は、明治維新後の新政府が全国多数の国事犯や重罪犯を収容するため、全国で3番目、北海道では最初にシベツブト(現在の月形町)に設置されました。
この集治監の囚人による農地開墾や道路開削などが礎となり、今日の月形町があります。

月形町の旅 (月形潔)