明治6年 <エドウィン・ダン> 大規模農業の基礎

写真は、エドウィン・ダン記念公園(旧真駒内中央公園、真駒内種畜産場跡)です。入館は無料ですが駐車場がありません。
 
明治6年(1873)に明治政府との間で1年間の雇用契約を結びました。
(結局、開拓使が廃止されるまで1年契約を繰り返すことになる)
 
ダンの業績

エドウィン・ダン

明治9年(1876)、ダンは牧羊場においては羊の飼育のほか北海道の気候に
適合する農作物の栽培実験を行い、漁牧場においては馬匹改良のため、洋種馬と日本在来種である南部馬との交配を試み、牧牛場においては100頭あまりの牛と80頭あまりの豚を飼育し、100ヘクタールの飼料畑を整備し、バター・チーズ・練乳の製造およびハム・ソ-セージの加工技術を指導。

同年、開拓使が北海道に競争場を建設することを計画。
それまで北海道では直線状の馬場や角形の馬場によって速歩競走が行われていたに過ぎなかったことから、ダンは北海道育種場に440間(約800m)の楕円形の馬場を建設し、襲歩による競走を行うべきだと提案。
明治10年、漁牧場の土壌が馬の飼育に適さないと判断したダンは、馬匹改良
の本拠地を新冠牧場に移すべきであると判断。

新冠牧場では千数百頭もの馬が飼育され、根岸競馬場におけるレースに優勝
する競走馬や全国博覧会で一等賞をとる馬を生産するなど名実ともに北海道
における馬産の拠点として発展した。
なお、新冠牧場は1883年に宮内省所管の新冠御料牧場となりました。
 
農業分野においては、1人で馬を使役し、ソリやプラオ、カルチベータなど洋式の大型農具を用いて農作業を行う技術を普及させたことが北海道における大規模農業の礎になったといわれています。
なお、現在でも競馬のばんえい競走における、荷物を載せたソリを馬に牽かせるという競技方式に、ダンが普及させた馬の使役方法の名残をみることができるといいます。
1886年に建設された中島競馬場はダンの設計に基づいて建設されたものでした。

更に、詳しく知りたい方は下記にもあります。
 
エドウィン・ダン記念館