明治3年 <ホーレス・ケプロン>
1804年8月31日 – 1885年2月22日没
 

ケプロン

アメリカ合衆国の軍人、政治家。お雇い外国人の1人。
マサチューセッツ州の豪農の家に生まれ南北戦争に北軍義勇兵として従軍後、アメリカ合衆国政府で農務局長となりました。

明治3年(1871年)渡米していた黒田清隆に懇願され、職を辞し、同年7月訪日。
 
開拓使御雇教師頭取兼開拓顧問となり、1875年5月帰国。
日本では積極的に北海道の視察を行い、多くの事業を推進しました。
札幌農学校開学までのお膳立てをしたのもケプロンです。

ケプロンの仕事は多岐に渡り、北海道の道路建設、鉱業、工業、農業、水産業
など、開拓のほぼ全領域に渡っています。
北海道は寒く、イネが育たないため、麦をつくることを奨励。
北海道ではパン食を推進すべきだと主張。

単に魚をとるだけでなく、塩漬けなどに加工すれば重要な輸出品になると進言。
ケプロンの進言に従い、1877年10月10日(ケプロン離日後)、日本初の缶詰量
産工場である石狩缶詰所が作られました。
この日(10月10日)は、日本では缶詰の日になっています。
開拓使はこれ以外にも道内沿岸部に次々とサケ缶詰製造工場を建設。

ケプロンの進言に従い、札幌-室蘭間、森-函館間までの馬車道が整備されました。(室蘭-森間は航路)。
この道は札幌本道と呼ばれ、ほぼ現在の札幌から室蘭間の国道36号と、倶知安から函館間の国道5号線です。

札幌大通り公園に黒田清隆像と並んで銅像が建っています。