北海道の歴史(年表)明治3年~明治5年

写真は明治5年の北海道支庁図です。

明治3年から5年までを年表でまとめてみました。
特に北海道にかかわってくる部分も含めています。

1870年(明治3年)

2月13日 樺太開拓使を置く。            
5月13日 淡路で庚午事変(稲田騒動)が起きる
5月17日 北海道に屯田兵が入植する。(この屯田兵は制度ではありません)          
9月25日 囚人に刺青することを廃止する          
函館外人墓地・嘉永7年(1854)、ペリー艦隊来航のとき死んだ2人の水兵の埋葬場所
  に提供したのがここでした。在函5ヵ国の領事からの要望で正式に外国人墓地として
  定められ道をはさんで山側がロシア人墓地。海側のプロテスタント墓地にはイギリス
  ドイツ・アメリカ・イタリア。          
伊達市の開拓<伊達邦成・仙台藩領亘理領主>      
苗穂村・丘珠村開拓<山形県人>        
大友亀太郎は札幌を去り故郷である神奈川県小田原市へ    

 
1871年(明治4年)

5月2日 稲田家臣団静内郡へ移住。総勢1,137戸546人。      
7月14日 天皇は在京56藩知事を集め、廃藩置県の詔書を出す(3府302県とする)  
8 廃藩置県の実施            
9月20日 戊辰戦争で敗れ、北海道移住を余儀なくされた仙台藩片倉小十郎家臣団401名を
  乗せて仙台の寒風沢を出港した咸臨丸は、箱館経由で小樽に向かう途中、木古内町
  のサラキ岬沖で座礁。乗船者は難を逃れましたが、咸臨丸はその数日後に破船沈没。
11月22日 全国を3府72県と改める。          
本願寺道路(現在の国道230号の前身)が開通      
  1870年東本願寺代表現如らによる北海道開拓活動として伊達~札幌を直結する通称
  「本願寺道路」の開削工事を開始。一年余で完成させる。当時のルートは厳密には
  伊達市から洞爺湖沿岸を経た後に現在の230号線ルートに入り、旧平岸村へ至る街道。
北海道で初めて米作りを成功させた中山久蔵は島松(現北広島市)に開墾で移り住む。
篠路村に本道初のみそ・しょうゆ醸造所が造られた。    

1872年(明治5年)

1月6日 榎本武揚、函館戦争の罪により入獄中、黒田清隆の助命運動により出獄  
1月29日 初の全国戸籍調査、総人口331万825人        
2 福沢諭吉「学問のススメ」初編出版。  
2月28日 兵部省を廃し、陸軍省・海軍省を設置        
3月7日 特旨にて榎本武揚の罪を赦す。        
6月24日 北海道手宮港を小樽と改称。          
7月19日 参議西郷隆盛、陸軍元帥となり、近衛都督を兼任する。    
9月12日 新橋・横浜間鉄道開業式(鉄道記念日)        
9 永山武四郎開拓使に移り、北海道開拓使八等出仕となる。    
11月28日 徴兵の詔書出される。          
簾舞通行屋(みすまいつうこうや)は、本願寺道路の公営宿泊施設として建築された。
開場北海道産馬の改良を目的として日高管内の静内・新冠・沙流の三郡に及ぶ
  約7万ヘクタールの広大な用地に創設(新冠御料牧場の前身)。
伊達小学校の前身 岡村広前に「由学塾」を開設。  
篠路小学校前身 篠路教育所を開設。  
「北海道土地売貸規則」,「地所規則」土地を売り下げて地券を渡し私有地とする。