江戸幕府時代の伊達藩は東北全域を領土とし、家臣も大人数でしたので明治維新後で禄高を減封され、城は召し上げられ家臣の士分を剥奪され侍ではなくなった家臣達は帰農を命ぜられます。

⇒ 宮城県南東部、現在の亘理町(わたりちょう)周辺を治めていた亘理・伊達家は、家臣たちと共に現在の「伊達市」へ集団移住。

⇒宮城県北部、現在の大崎市「岩出山周辺」を治めていた岩出山・伊達家は、
    家臣たちと共に現在の「当別町」(札幌市の北隣)へ集団移住。

⇒宮城県南部、現在の白石市周辺を治めていた仙台藩重臣である片倉家(白石城主)は、家臣たちと共に札幌市周辺「札幌市白石区・札幌市手稲区」と「登別市幌別」(室蘭市北東隣)へ集団移住。

⇒船岡は、亘理・伊達家の入植地に近い場所に入植した(現:伊達市舟岡)。

⇒角田からは、室蘭市に入植後、元家老等一部を残し現「栗山町角田」に入植。