松屋崎(まつやざき)

森町に入ってから「岬」の漢字が「崎」に変わりました。湯ノ崎⇒度杭崎⇒砂崎⇒松屋崎、更に崎は続きそうです。

室蘭を過ぎてから左手に見えていたのは内浦湾は、チキウ岬(絵鞆半島)から駒ヶ岳北東麓の松屋崎までを言います。ほぼ円形(直径約50km)の海域です。

噴火湾や胆振湾ともいわれていますが、噴火湾と言われるようになったのかは日本人が付けたものではありません。
1796年(寛政8年)に当地を訪れた英国のプロビデンス号のブロートン海尉が、内浦湾がほぼ円形な事と、周囲を取り囲む北海道駒ヶ岳や有珠山などの火山を見て「これは Volcano Bay だ」と語ったことに由来するといわれています。

森町教育委員会の調査記録によると、「松屋崎の遠見処」の跡というのがあったとあります。噴火湾一帯の警備監視態勢の一環として、松屋崎が重要ポイントになっていました。
また、箱館戦争時に榎本軍の砲台を築いたところで「高さ1mの方形の土塁が残る」とあります。この台場までは簡単には近付けないそうです。