ヒキウス岬

歯舞港から道道35号に戻り、西に進むと「引臼(ひきうす」と名前が付く岬と沼があります。

ヒキウス岬には、今なお太平洋戦争時の土盛りで囲われたコンクリート製の砲台跡が残っています。
十勝の広尾町から浦幌町の海岸沿いには、巨大なコンクリートの固まり「トーチカ」が墓石のように立ち並んでいます。旧日本軍が造った防衛陣地です。
ヒキウスの砲台も波や風雨の浸食を受けながら、戦争の記憶をとどめる遺物として残っています。

岬には望楼の他、昭和19年12月時点で電波探信儀が稼働し下士官兵13~14名で運用されていたといいます。
しかし、昭和20年7月14日、北海道空襲がありました。空襲は15日も繰り返され、根室は室蘭、釧路に次ぐ被害を受けます。市街地では住戸2,400余、根室港では2杯の船舶が撃沈され、400名近い犠牲者が確認されています。

シキウスとは、シキ・ウシ・トー=「鬼茅・多い・湖」とありましたが、これは良くわわかりません。