ノッカマップ岬

道道35号を東に進むと風車が見えてくるので、風車の手前に 「ノッカマップ岬灯台」の案内板があります。

かつてノッカマップ地区は、根室半島アイヌの中心都市でした。ここで多くの血が流されたことから、集落としての機能が放棄され、中心部が現在の市街地に移ったといわれています。

戦闘時の砦(とりで)のほか、周辺の部族との談判(チャランケ)や祭祀を行なう場にもなっていました。ノツカマフ1・2号チャシは、根室海峡沿いの見通しのいい岬に築かれ、「コ」の字形や半円形の壕います。
チャシの見学ができるのは、ノッカマフチャシ跡とヲンネモトチャシ跡に限られているので時間に余裕があれば見学をすすめます。

ノッカマフチャシ跡は、1789(寛政元)年、和人に搾取されたアイヌが蜂起し、和人71人が殺害される「クナシリ・メナシの戦い」の際、松前藩は首謀者など37人を捕縛しこのノツカマフで処刑しています。

蝦夷の時代56 (クナシリ・メナシの戦い1)