竜神岬(りゅうじんみさき)

神恵内村は道北の音威子府村に次ぐ2番目に小さい村です。「かもえない」の由来は、アイヌ語の「カムイナイ」(美しき神秘な沢)を当て字したものです。

1594年(文禄3年)にはニシン漁がなされていたという記録があり、江戸時代には松前藩のフルウ場所が開設されています。
明治30年代から40年代までがニシン全盛期で、大正元年に古宇郡全体で6万2千石と全道第一位となります。
明治39年、神恵内村と赤石村と珊内村が合併して神恵内村となりました。

竜神岬は神恵内湾の先端にあたり、湾の対面が防波堤で港になっています。この湾は古宇川の河口で、古宇川に沿って道道998号が沢を上って行きます。この道は古平町に向かいますが、峠に見晴らしの良い「当丸展望台」があります。

竜神岬の伝説は、この当丸の高地にある沼にあります。

『昔、当丸沼に千年も生きたかと思われるような大蛇が棲んでいた。蛇は沼から出ようと何度も試みるが、大嫌いな桂の大木が横たわって尻尾を押さえつけていて、這い出ることができない。
ある雨の夜、近くの炭焼き小屋で樵が寝ていると、枕元に白無垢姿の美女が現れ、「私はこの沼に棲む蛇の精ですが、桂の木のために沼を出ることができません。どうかあなたのお力で桂の木を切り除いて、私を沼から出してください」と物悲しく哀願する。
樵は、夢うつつのなかで怪しみ、また恐れたが、女を哀れに思い意を決して暗闇のなか、大斧を担いで出かけることにした。そして、大木や生い茂る熊笹をかきわけ、ようやく沼の桂の大木に辿りつく。
一昼夜、一心不乱に斧を振るった樵が、ようやく切り終わろうとしたその時、空がにわかにかき曇り、雷鳴がとどろいてどしゃぶりの雨が降りはじめる。沼はあふれ、やがて地鳴りとともに沼の水が堰を切って流れだした。
大蛇はその濁流のなかをゆうゆうと泳いで海へ出ると、竜神岬から竜巻とともに天に昇っていった。
この話を伝え聞いた村人たちは、岬に竜神様を祀り、村の繁栄と海上の安全、そして魚の保護、豊漁を祈った。
その後、神恵内村の漁場は大いに栄えたという。』

神恵内村の街路灯を見ると竜がピースしています。

当丸峠で描いた絵があります。こちらも見てください。