黒岳(くろだけ)

黒岳(標高1984m)の名は、大正7年に小泉秀雄の「山岳」に書いた『鋭く尖り黒色を呈し』から来ているといいます。
層雲峡の名付け親でもある大町桂月は「富士山に登って山岳の高さを語れ、大雪山に登って山岳の大きさを語れ」と雄大さを称えました。

黒岳への登山道は大正13年に拓かれました。しかし、それは登山家が登れるもので一般人には無理な話でした。それが可能になったのは昭和42年にロープウェイが完成します。さらにリフトが出来て大雪山系の山々の中で最も短時間で登れる山となりました。

ところが、登山者が増えるに従い高山植物の盗掘も増え、一時は山頂が丸裸の状態になったといいます。

黒岳ロープウェイに行ったことがあります。山頂までは上りませんでしたが、駐車場には中国人と思われるレンタカーが何台も停まっていました。

層雲峡(上川町)