昭和新山(しょうわしんざん)

1943年(昭和18年)12月28日、午後7時頃に壮瞥町周辺で最初の有感地震がありました。その後、地震が頻発します。約4ヶ月間に渡り爆発が起き、隆起する大地が繰り返され地底で固まった粘性の強い溶岩が押し上げられ398mの火山を出現させました。

この隆起する溶岩を見守り続けたのが郵便局長の三松正夫さんでした。地震発生から、活動が止まるまでを独学の観測方法で観察、詳細な記録を残しました。

戦時中ゆえに公表されることはありませんでしたが、三松正夫は火山となって畑作ができなくなった土地を購入し保全にも努めました。
現在も昭和新山は三松家の私有地で、火山の誕生の様子などは「三松正夫記念館」に展示されているので見学することができます。
ドラマチックな誕生をした昭和新山は、「日本の地質百選」に選定されています。

昭和新山は山麓から見上げるだけで入山は禁止になっています。私が中学の時には途中まで登ることができました。今は、麓の松林も茂り昭和新山の全体が分からなくなりました。

昭和新山(壮瞥町)

水彩画で描いた絵もあります。