クマとちえくらべ

川下の男と川上の男が隣合って住んでいました。
ある日、川下の男は川上の男の方へ出かけていきました。そして、木の船と土の船を作り上げ、なんの気なしにひとりごとを言いました。
「誰か来ないかな。この船で競争したいものだ」
すると、不思議なことに、森の中も、まわりの地面も、ぱっといっとき暗くなり、大きなクマが出てきたのです。そして、
「よし、おれとやろう」と言うではありませんか。そこで川下の男は、自分は木の船に乗り、マクを土の船に乗せて、川を下り、海へ出て競争することになりました。

船をこぎながら、かれは、恐ろしくて恐ろしくてたまらず、心の中で祈りました。

トイチッ ペーネ 土の船 とけろ
トイチッ ペーネ 土の船 とけろ

すると、クマの乗った船はとけて、クマは海の中へ落ち込んでしまいました。川下の男はやりをとってクマを突き殺し、皮をはぎ、肉と頭をくくって、家に帰り、祭だんにささげ、ひと休みしていると、

ケーポ ケーポ ツーツー

と、うたいながら、川上の男の妻がやってきました。
川下の男の妻が、「何の用事でやってきたの?」とたずねましたところ、「だんなのいいつけで、コンブを探しにきたのです」と、答えたので、コンブを少しあげて、
「下の者が、きょう、クマをとったので、見てくださるようにご主人に伝えてください」と、川下の男の妻がことづけしました。

川上の男の妻は家に帰って、このことを夫に話しました。すると、川上の男は急に怒りだしたのです。
「なにを生意気な川下のやつめ!  おれをさしおいてクマをとるとはなにごとだ。やつなんぞ、くつにしろ、ズボンにしろ、食べ物にしろ、おれよりもずっと貧しいではないか。それなのにお客ごとなど、おれが先にやることではないか。おれを出し抜きやがって、にくい川下のやつめ!」
と、さんざんにののしって、クマを見にいかなかったのです。

そこで、川上の男の妻だけが客としてよばれていって、たらふく肉を食べました。そして、その帰りに、川上の男へのおみやげの肉をひときれもらって、それを自分の着ていた魚の皮の着物のすそにくるんで帰ってきました。帰り道、着物のすそがハマナシの木にひっかかりました。妻は、ハマナシの木も肉が食いたいのだなと思い、肉をそこへおいて、何ももたずに家へ帰ったのです。

川上の男は、妻が帰ってくるなり、
「どれどれ、おれのおみやげは? 」と、さいそくしました。妻は、
「でも、おまえさんはさっき、お客によばれたのに、悪口の言いたいほうだいで、行かなかったじゃないの」と言うと、男は、たいそう腹を立てたようすで「よし、明日だ、明日だ。明日は、きっとおれがクマをとってやるぞ!」と言いました。

つぎの日、男は川上に出かけていって、木の船と土の船を作って、わざと大きな声で言いました。
「誰か来ないかな。この船で競争したいものだ」すると、前と同じように、森の中も大地もぱっと暗くなり、目の前に大きなクマが現れました。

いよいよ競争するときになって、おろかにも川上の男は土の船に乗り、クマを木の船に乗せてしまったのです。

トイチッ ペーネ 土の船 とけろ
トイチッ ペーネ 土の船 とけろ

と祈ったので、自分の乗っている船がとけて海中に落ち込んでしまいました。川上の男は驚き、夢中で泳いで陸に上がり

ペントコ ノエノエ (肩をふれふれ)
パントコ ノエノエ (尻をふれふれ)

とさけびながら、逃げ出しました。どこまでもどこまでもクマが追ってくるので、もう夢中に逃げ廻りました。すると、行く手に、そりを作っているじいさんに出会いました。
「じいさん、じいさん、たいへんだ。早く逃げろ!」と言って、そのじいさんを逃がし、じいさんの真似をして、そりを作っていますと、まもなくクマがやってきて、
「じいさんや、ここへ、男が逃げて来なかったかい?」
「見なかったよ」
と、答えると、クマむはそこで少しの間休んでから、もと来た道へと戻っていきました。
そのすきに男は、

ペントコ ノエノエ (肩をふれふれ)
パントコ ノエノエ (尻をふれふれ)

と叫んで逃げたので、クマはその声で気が付き、またまた追って来たのです。どんどん逃げて行くと、行く手に、船を作っているじいさんに出会いました。
じいさん、じいさん、たいへんだ。早く逃げろ」
と言って、そのじいさんを逃がし、そのかわりに船を作っていると、そこへクマが来て、
「じいさん、ここへ男が来なかったかい?」とたずねました。
「見なかったよ」と答えると、クマはそこで少し休んで、引き返していきました。川上の男は、そのすきに、

ペントコ ノエノエ (肩をふれふれ)
パントコ ノエノエ (尻をふれふれ)

と叫んで、逃げ出しました。クマはその声に気が付き、またまたたいへんな勢いで追ってきました。男はどんどん逃げて、しかたなく、ドロノキの大木の根もとの洞穴の中にもぐりこんだのです。
けれども、穴が小さく、体が半分、外にはみ出し、クマに見つかってしまいました。クマは、男の足の方からたたいたり、かんだりしました。
そして、
「こら、まだ生きているか?」と聞いたところ、男は、
「まだ生きているぞ」と答えたということです。そこで、クマは、また、たたいたり、かんだりして、胸のほうまで爪がきたとき、
「どうだ、まだ生きているか?」と聞きました。けれども、男はもう答える力もなく、どったりしていると、クマは男が死んだものと思って、立ち去りました。
男は、体じゅう血だらけになり、あしくきを杖にして、よろよろしながら自分の家に帰っていったということです。

知里真志保「アイヌ文学」より