ネズミとヘビと大ブキ

松前まつまえ上磯かみいその沖、江差えさしから70キロ北の海上に、奥尻おくしりという、まわり8キロほどの島があります。
島には、あらしをさけるに都合のよい港がところどころにあって、東側がしけるときは西側へ、西側があれるときは東側へと、避難することができます。
それで、ここで救われた船の人たちは、この後の船のために、米やなべ、火打ち道具までも備えつけて、難破しかけた船や、風や潮に押し流された船、行き先を間違えた船などが、この島に船をよせ、いかりをおろして、よいなぎになるまで命ながらえることができるよう、支度をし、特に米を積んで来た船には、必ずこの地に米を蓄えさせたといいます。

むかし、この島には、ネズミとヘビだけが住んでいたといいます。

ヘビの多い年は、ネズミがヘビにくわれ、ネズミの多い年は、ヘビがネズミにくわれたそうです。
ここに集まるネズミの走る音は、ちょうど群れをつくって飛び立つ鳥の羽音はおとのようにすさまじいものだったそうです。
そして、潮がひくと、海岸の岩についている貝類を、ネズミがよってたかってひっぱがし、山にかつぎあげ集まって喰い、それがなくなると木の根、草の根をほってくいつくしたそうです。そればかりか、島じゅうに生えていた、たくさんのシノ竹や、木々の枝先まで、びっしりと上って、もりもりと食い尽くし、食物がなくなると、今度はネズミ同士が共食いをしてあばれ、その音は、山にひびき、海にひびいてすさまじいほどだったそうです。
ヘビもここにすんでいますが、こんな年は、ネズミに食い尽くされ、穴ごもりしているのまでも掘り返されて、食われてしまうのだそうです。

ある時、この島の近くで船がひっくりかえり、その船にかわれていたネコが二匹、ようやく板子いたこにのり、ただよって風にふきよせられ、この島に流れついたそうですが、たくさんのネズミに追われて、おじけおそれ、海岸の岩の上まで逃げのびましたが、それからは海に入ったものか、みえなくなってしまったということです。
だから、船をとめていても、恐ろしいのはこのネズミで、ひとり、ふたりではとても住む気にはなれないと、漁師が語っていたそうです。

また、この島には、大きなフキがはえていたそうで、たけが五、六尺と高く、くきは五、六寸、葉の長さは、五、六尺で、この下にかくれると、雨露あめつゆをふせぐことができたといいます。霧さえも下にもらないので、下草は少しもなく、竹藪たけやぶの中をわけていくような思いがしたそうです。

菅江真澄「蝦夷のさえぎ」より

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