キツネにつままれた話

忘れもしない、わたしが8つぐらいのときのことだ。だから、もう、60年もむかしのことになる。けど、つい昨日うのことのような気がする。

わたしは、紋別もんべつの近くの滝ノ下というところの農家に生まれた。
あるとき、滝ノ上の町で草競馬くさけいばがひらかれることになった。町は、近郷近在きんごうきんざいの見物客で、それはもう、賑やかなものだった。
わたしも、となりのウタと晴れ着を着て、わくわくしながら見物に出かけた。ウタは、わたしと十歳ぐらいはなれていたろうか、とってもほがらかで、気の強い人だったとおぼえている。わたしたちは、いろんな出店をまわったり、もうそれはそれは楽しくて、時のたつのも忘れてしもうて遊んでおった。

ふと気が付くと、まわりはもう、うす暗くなっていた。
「さあ、どうすべえ」ということになった。だって、帰るとなると、三里(約12キロ)の昼間でもうす暗い山道を、ふたりっきりで歩かなくちゃならない。来るときは、村の人たちと大勢で、にぎやかに話しながら来たのだが、ほかの人たちは、知り合いのところに泊まったり、早くに帰ったりで、今ごろ帰る人は、あまりいない。
わたしの知り合いの人も、しきりととめるが、ウタは、もう、言い出したらきかない。とうとう、みんなの反対をおしきり、ふたりだけで帰ることになった。

ガッパげた(女の子用のげたで、中をくりぬいてあるポックリのようなもの)のわたしは、ブラちょうちんを下げたアタのもう一方の手にぶらさがるようにして出発した。
ところが半みち(半分の距離)もこないうちに、まわりはすっかり暗くなってしもうた。山道に入ったが、ふしぎなことに雨が降ったあとのように道のところどころが水たまりになっている。その水たまりをさけるようにして、わきを通りながら歩いた。ところが、わきの草が「サワ、サワ、サワ・・・」と、ときどきなる。まあ、まあ、こわかったなあ。

そのうち、ふと、わたしたちの耳に、後ろのほうから、
「そらいけ、そらいけ、馬が来たぞ」「パカ、パカ、パカ、パカ」という声と、馬のひづめの音がする。
どうして、わたしたちを追いこさないのだべ。こんなしめった道で、よくあんなに馬の足音がひびくものだなどと考えながら、走るようにして歩き続けた。ときどき、思い出したように、ブラちょうちんで、声のするほうをてらしてみるのだが、すぐ後ろにいるはずの馬のすがたがない。
それでも、ようやく、小沢というところまでたどりついた。そこには、片岡さん一家が住んでいた。そこで、わたしたちは、一息つくことができた。

青ざめたわたしたちの顔色を見ながら、片岡さんは、
「なんもなかったかい」と聞く。
どう受け答えしたか、今は覚えていないが、とうとう、そこにも泊まらず、気じうぶなウタは、あと半分ほどになった夜道を思いきって帰ることにした。

小沢からは、山道が急カーブになつている。とうとう、わたしたちは、はきものもどこへやら、タビはだしになって走り出した。とちゅう、沢があって、小さな橋がかかっている。その橋のたもとで、ろうそくをつけなおすことになった。
わたしは、ウタの手をぎっしりとにぎりしめ、ふるえながらうずくまっていたが、ふと、水にうつる光に気が付いた。ろうそくの光にならんで、右に左にぽつぽつと浮かんでいる。
ふたりとも、口にはださなかったが、「火の玉」とわかった。ウタは、すぐに、わたしをひきずるようにして歩きだした。その「火の玉」は、わたしたちに前後して、峠の上までついてきたような気がする。というのは、そのころには、わたしは、体力もなくなっていたのだろう、眠くてぼんやりしていた。

ときどき、しかるように、
「トヨ、ほれ、もうすこしだ。しっかりしろ、ほれ、ほれ、家が見える」という、ウタの声がする。
みると、ほんとうに、もやがかかったように、ぼんやりと家々が見える。思わず、そっちへ行こうとすると、すうと消えてしまった。こんな暗いなかで、見えるわけはないのだ。

すると、
「そらいけ、そらいけ、馬がきたぞ。よけろ、よけろ」
という声が聞こえてきた。

そうこうしているうちに、ようやく家にたどりついた。午後の11時ごろだったということだ。
ウタは家に入るなり、柱にしがみついたまま、うわごとのように何かを口走り、しゃがみこんでしもうた。

そのようすを見たわたしの祖父が、すぐに「キツネばらい」をした。そのとたん、「キャンキャン」という鳴き声といっしょに、何かが窓から飛び出したということだ。
そのあとのことは、疲れてしまって、すぐに眠りこけてしまったわたしには覚えはないが、ウタは、それから一週間もとこ・・についたきり、動けなかったということだ。

あとから聞いた話だが、わたしがいぬ年・・・・だったために、キツネは、ウタのちょうちんを消すことができないで、わたしたちは、ようようのことで帰ることがで゛きたのだということだ。
もしも、いぬ年のわたしがそばにいなかったら、ウタはどうなったかわからない。キツネが人を化かすということをわたしは信じるね。