アイヌに文化をさずけたオキクルミー平取町ー

ずっと昔、神さまが、アイヌモシリ(北海道)を作ったことです。神さまたちが、

「それは、それは、緑美しい山だ」「それは、それは、澄んだ美しい流れの川だ」などと、新しくできた、アイヌモシリの話をしていました。

「よし、その新しい国へ行ってみよう」

平取町・二風谷ダム

と、勇気と知恵と力のある、若い神さまのオキクルミは、ひとつかみのヒエの種を手にすると、下界に降りていきました。
それは、美しい沙流川が、ゆうゆうと流れている今の平取の辺りでした。

 

「なるほど、これは、天上で聞いていた話より素晴らしい国だ。私は、この地で自分の力を試してみたい」

若い神さまのオキクルミは、山や川の美しさと、そこに住む、優しいアイヌの人たちに感激して、いいました。アイヌの人たちは、大変喜びました。
オキクルミは、まず初めに、火のつくり方を教えました。石と石とをぶつけて火花をつくり、サルノコシカケを燃やすと炭が出来、火種になるのです。いままで、山火事でもなければ、火をつくることができないもの、と思っていたアイヌの人たちは、驚きました。

次に、オキクルミは、柱を立て、自由に立って歩くことのできる家の作り方を、教えました。今までは、三本柱を立てた、竪穴式の家だったので、アイヌの人たちは、家族が気持ちよく住めるようになって、大変喜びました。

また、オキクルミは、シカやクマを獲る弓と矢、トリカブトという木の根で作る毒、それに、サケやマスの捕り方や道具のことも教えてやりました。
これで、アイヌの人たちは、山や川の獲物を、たくさん獲ることができ、食べ物に困ることがなくなりました。

オキクルミは、神の国から持ってきた、ひとつかみのヒエの種を、たくさん増やして、国中のアイヌの人たちに分け与えました。アイヌの人たちは、はじめて、おいしいヒエごはんを食べられるようになりました。
オキクルミは、このヒエを使って、お酒を造ることも教えました。アイヌの人たちは、おいしいお酒を造ると、ヤナギの木で、イナウをつくり、神さまをお祀りしました。

アイヌの人たちは、イナウのつくり方も、お祭りの仕方も、オキクルミに教えてもらった通り、立派にやりました。オキクルミが、

「神を大切に祀ると、神々が喜んで、アイヌを守ってくれるのです」

と、教えてくれたからです。

オキクルミのおかげで、アイヌの人たちの生活は、たいそう豊かになりました。

「オキクルミカムイ、ありがとうございます」「オキクルミカムイ、いつまでも、このアイヌモシリにいてください」

オキクルミは、神の国に帰らず、ずっと、この国に住むことにしました。
沙流川のほとり、オタス(平取町荷負村)に新しい家を建て、美しいお嫁さんを迎えました。そして、何年も何年も、平和なのどかな日が続きました。

ところが、ある年の冬のことです。
どういう訳か、毎日、毎日、雪が降り続き、野も山もアイヌの家も、すっぽり雪で埋め尽くされてしまったのです。大変なことになってしまいました。アイヌの人たちにとって、一番大切な食べ物であったシカが、大雪のため、どんどん死んでいくのです。
やっと雪が融け、春になりましたが、もう、一頭のシカも見つけることができませんでした。野山じゅう、シカの死がいだらけになっていたのです。わずかな蓄えも食べつくしたアイヌの人たちは、飢えに苦しみ、病人が大勢でました。死人の出る村もありました。

オキクルミは、自分の食べる分を減らして、蓄えてあった、干したシカの肉やサケを、そっと配って歩きました。夜になると、オキクルミの妻も、ヒエのごはんを炊いてお椀に盛り、そっと家々の窓を開けて、配って歩きました。村の人たちは、姿の見えない神さまのめぐみを、心から感謝して受け取りました。

ところが、ある日、シケレベ(平取町荷負本村)の若者が、オキクルミの妻がお椀を差し出した時、いきなりその美しい手を握ってしまいました。その瞬間、ものすごく大きな音が響き渡って、若者は、吹き飛ばされてしまいました。

このことがあってから、沙流川のオタスにあったオキノクルミの家が、無くなってしまいました。アイヌの人たちは、オキクルミが怒って神の国に帰ってしまったのだ、と思いました。
この時、オキクルミの妻が使っていた(ヒエを収獲する時などに使う道具)が、岩になって残りました。

そのみの岩は、ちょうど川のふちに、崖の形(アイヌ語でノカピラ)になっていました。アイヌの人たちは、この川のことを、ノカピラ川と名付けました。アイヌのために、たくさんのことを教えてくれた文化の神さま、オキクルミと、その心優しい妻にいつまでも感謝の心を忘れないようにするためです。

ノカピラ川は、今は額平ぬかびら川(沙流川の支流)と呼ばれ、七色の虹のように輝く川底の石を映し、沙流川にそそいでいます。