おちちの神さま ー知内町ー

「姥杉(うばすぎ)」と呼ばれる樹齢約600年の古木が北海道知内町の知内公園内にあります。
近くの雷公(らいこう)神社の初代宮司の妻・玉之江(たまのえ)を葬った地に植えられたと伝わります。玉之江は、乳が出ない母親たちを助けてあげたいと遺言を残しました。確かに、杉の根元には乳房そっくりの大きなこぶがあります。

 

今から400年以上も昔、知内という小さな村に、村人から慕われていた年老いた神主が、妻と二人で村に建てた神社を守って、住んでいました。
村人も神社を心のささえとして、大切にしていました。老夫婦の神主さんは川でサケを捕ったり、家の回りの畑に野菜などを作って、貧しいけれど、二人は仲良く暮らしていました。

ところが、神主はふとした風邪がもとで、病の床についてしまいました。村人たちは、みんな心配してお見舞いに来たり、美味しいものを作って持ってきたりしましたが、神主さんは、中々よくなりません。

ある日の朝でした。神主さんは、妻を枕もとに呼んでいいました。

「わしは、もうこの世に分かれを告げることになるかもしれない。もしも、わしが死んだら、わしを知内川のわとりに埋めておくれ。いつもこの知内川の水をいっぱいにして、サケがたくさん獲れるように守ってやりたのだ」

と、いい残して、この世を去っていきました。この時、106歳であったということです。

それから、しばらくして、今度は妻が、病気になってしまいました。村人たちは、また、みんな心配して、お見舞いに来たりして早く治るように、一生懸命になりました。けれど、中々よくなりません。

ある日、妻は村人を枕元に呼んで、

「わたしが死んだらね、知内で一番、見晴らしのいいところに、埋めてくださいね。わたしも、村の人たちの願いを聞き届けてあけげたいと思いますの。おちちが出なくて困る人に、おちちを授けるようにしてあげます」

と、いい残してなくなりました。

村人たちは、小高い丘に遺体を埋め、一本スギを植えました。そして、小さな祠を建て、「姥杉さま」と呼んでお参りをしました。植えられたスギは、年月が経つと共にどんどん大きくなりました。いつの間にか、スギの木は、幹の回りが5mほどもある、大きなスギに生長しました。
ところが、このスギの根元に、いつできたのやら、乳房に似た大きなコブが二つできました。
村人たちは、びっくりしました。

「あれは、神主さまの奥様の乳房だよ」

「遺言を本当に見せるために、木にあらわしたに違いない」

「本物の乳房みたいだ」

村人たちは、みな関心してしまいました。それから、村人たちは、姥杉さまのことを「乳神さま」と呼ぶようになりました。そして、乳神さまにお詣りすれば、きっとお乳が出るようになる、と思うようになりました。

おケイさんという女の人は、お乳が出ませんでした。それで、さらし布を、三角にぬい、お米を入れた二つの袋を乳神さまのお堂に供えました。それから、持ってきたお神酒を供えました。

「どうぞ、お乳が出ますように」

手を合わせて、お祈りしたあと、二つの袋を持って帰り、それをお粥にして食べました。
次の日の朝、おケイさんは本当にびっくりしました。お乳が出たのです。その話は、たちまち村中に広がりました。

ある日、一人のおばあさんが、生まれたばかりの赤ん坊を抱いて、お詣りしていました。

「わしの息子の嫁は、この子を産んで三日目に死んでしまいました。わしは、何とかして、可愛い孫を育てたいのです。このばばに、お乳を授けてくだされ」

すると、何日かして、このおばあさんの乳房が、急に張り出し、お乳が溢れるように出たということです。そして、赤ん坊は、おばあさんのお乳を飲んで、成長したそうです。

それからというものは、乳神さまのお堂には、近くの村々からはもちろんのこと、知内から遠く離れたところからも、たくさんやってきたということです。

今でも、毎年、1月17日の夜、村の女の人たちが集まって、乳神さまのお祭りをするということです。