戸をたたく亡霊 -夕張市ー

大正時代のこと。夕張市のある小学校で、新学期が始まって、ひとりの若い先生が来ました。

朝、校長先生が運動場でみんなに紹介した後、五年生の教室に案内しました。受け持ちが五年生だったからです。校長先生は、五年生の教室で紹介すると、

「先生の名前は桑島くわじまといいます。みんなと一緒に勉強することになったけど、頑張ってやろうな」

と、若い先生が言うと、子どもたちはみんな、こくりと頭を下げました。
こうして、桑島先生と子どもたちの生活が始まりました。
やがて、夏休みになりました。

桑島先生は、その日、宿直で学校に泊まる日です。暑い日が続いていて、谷間にある学校の宿直室も、夜にはいっても暑く、窓を開けておきました。
桑島先生は、昼間の疲れが出たのか、畳の上で横になったまま、いつの間にかぐっすり寝込んでしまいました。
それから、どのくらい経ったのか、部屋の戸を叩く音で目を覚ましました。

「誰だ、こんなにおそく、学校に来るなんて。何の用事だ」

と、言いながら、起きて戸を開けました。そして、辺りを見回しましたが、そこには誰もいませんでした。風でものを打った音かな、と思って、その晩は過ごしました。
次の夜も、泊まることになったのですが、やっぱり、昨夜と同じようなことがありました。

朝、学校に来た友だちの佐々木先生に、二回も同じことがあったことを、そっと話しました。その晩、佐々木先生が泊まることにしました。
だんだん夜がふけて、やがて、夜中になりました。すると、桑島先生の話のように、戸を叩く音がしました。初めは、聞き違いかな、そうでなければ風のせいかな、と思ったのですが、続けて戸を叩くので開けてみました。
しかし、そこには誰もいなくて、ただ、真っ暗な廊下だけが長く続いていました。そして、すうっと、なまぬるい風が吹き抜けていきました。

朝になって、さっそく桑島先生に昨夜の話をしました。そこで、桑島先生は、もう一度泊まることにしました。

やがて、夜がやってきました。桑島先生は身支度をして、戸が叩かれるのを待っていました。
すると、しばらくたって、まえのように音がしました。それは、ちょうど、まえと同じころでした。様子をじっと見ていた桑島先生は、

「おまえは人か、ほかの動物か。なんだ。人なら戸をひとつ。そうでなかったら、ふたつ叩け」

と、いいました。すると、コツンとひとつ叩きました。そこで、

「そうか。それなら、男ならひとつ女ならふたつ、叩け」

というと、今度もまた、コツンとひとつ、叩きました。

「どこにいるんだ。学校内ならひとつ、そうでないならふたつ、叩け」

「コツン」

「学校の、どこにいるんだ。東か、西か。東ならひとつ。西ならふたつ、叩け」

「コツン」

こうして、言葉ではなく、音で話し合いました。やっと、戸を叩く者が誰で、どこにいるのかを確かめることができました。
夜が明けるのを待って、学校に来た佐々木先生に、さっそく昨夜のことを話しました。
ふたりは、それが本当のことかどうか、話をしたところの床をはいで土を掘り始めました。

掘っても掘っても、それらしいものが出てこないので、騙されたかと思いましたが、もう少しと思って掘っているうちに、スコップの先に触るものがありました。はてなと思い、掘り上げてみると、それは人の骨でした。

「あったよ、佐々木先生。あれはやっぱり本当だったんだ。床下に埋まったので、誰かに掘り出してもらうのを待っていたんだが、待ちきれなくなって、俺たちに頼んだんだ。掘ってやってよかった」

と、桑島先生がいいました。その骨は、新しい箱に納められ、鹿の谷の墓地に無縁仏として葬られました。それ以来、この学校の宿直室の戸を叩く不思議な物音は、しなくなったといいます。