ルスツリゾート (留寿都村)

ルスツリゾート

留寿都村 といえば「ルスツリゾート」です。
前身は1972年(昭和47年)に大和観光が橇負山(そりおいやま)の土地を購入して開発した「大和ルスツスキー場」でした。ところが、不動産投資の失敗で昭和56年に加森観光が買い取り「ルスツ高原スキー場」と変更して営業を開始したのが今日のはじまりです。
国道230号を走ると遊園地が見えますが、昭和63年に札幌で開催された「世界・食の祭典」で使用されたものを据え付けたものです。スキー場は冬だけの営業ですが、通年通してのビジネスに邁進し、今ではゴルフ場、スキー場も3つの山で全37コースを備え、高層ホテルも建設され一大リゾート地区を形成しています。

観光客が行かない留寿都村の旅

道の駅230ルスツ

札幌から国道230号を通って留寿都村まで約2時間です。
札幌と喜茂別町の境界に中山峠があり、「道の駅望羊中山」まで約1時間。
峠を下って喜茂別市街地で右折すると京極・ニセコに向かいますが、ここから正面に尻別岳を見て突き進むこと約20分で観覧車が見えてきてきます。更に5分で二つ目の道の駅「230ルスツ」に到着します。
この道の駅で休憩して洞爺湖や函館方面に向かうドライバーが一般的です。
留寿都村をリゾート目的でなく、村を観光として楽しむ人は稀ですが、これが新たな発見があるのです。

道の駅「230ルスツ」

ここの道の駅は地元産の新鮮野菜が安く買えることです。
道の駅で地元産の販売が増えていますが、立寄るドライバーが増えるに従い値段も高くなる傾向があります。
北海道の町や村にはスーパーがないところが多く、地元の人たちに生活用品を販売している駅が多くあります。ルスツと次の「とうや」の道の駅はお値打ち価格で販売しているので、留寿都まで日帰りのドライブ方々買い物に来てもお得です。

この道の駅の一角に指圧の心 母心 おせば生命の泉わくで一世を風靡した浪越徳治郎の胸像があります。マリリンモンローや吉田茂も治療したという浪越氏は少年時代をルスツで過ごしました。

ルスツふるさと公園

開拓の母像

道の駅の裏に回ると「ルスツふるさと公園」になっています。
留寿都村は村全体が高原ですから、なだらかな斜面に芝生が冴え広大な緑が目に飛び込んできます。
この高原に「開拓の母像」が建てられています。開拓に関わった多くの女性をイメージして作られたものですが、童謡「赤い靴」の母親「岩崎かよ」をイメージしているといいます。野口雨情作詞の「赤い靴」は、この留寿都村で生まれた童話です。

ふるさと公園はマウンテンバイクコースやドッグラン、そうして道の駅の駐車場横を下っていくとデイキャンプ場があります。ここは北海道にキャンピングカーで来た人たちのたまり場になっています。ナンバーを見れば都市がわかるので、全国の人たちと会話が楽しめます。

母思像(赤い靴公園)

母思像(赤い靴公園)
童謡「赤い靴」

道の駅から二本目の交差点の角には「赤い靴公園」があります。広い公園ではありませんから、良く見ていなければ通り過ぎてしまいます。目印は、この交差点を右折すると留寿都村役場があることです。
公園には「赤い靴」の作詞が作られた経緯の碑があります。

明治38年、幼い娘を抱いた未婚の母が函館にたどり着いたことに始まります。母は岩崎かよ、娘はきみ。青森県出身の鈴木志郎が岩崎かよと巡り会い結婚。留寿都村八の原の厳しい開拓地へ幼な児を連れて行けなく、米人宣教師夫妻に預け、その後母と子は二度と会うことがありませんでした。娘が宣教師と一緒にアメリカに渡ったと思い込み、野口雨情の夫人に境遇を語ったことで雨情の作詞につながりました。


留寿都村のはじまり

村名の由来は、アイヌ語のル・スツ(道が山のふもとにある)で漢字の当て字です。
村の開基は明治4年。東本願寺が行った有珠郡へ至る新道開削(北門開拓の像は中山峠にあります)にともなって、三戸が移住したのがはじまりでした。
留寿都村は当時真狩村(現ニセコ・真狩・留寿都・喜茂別)に属しており、定住した和人は旧伊達藩士(亘理領)の阿部喜左衛門ら3戸で、彼らが現在の喜茂別字相川に入地したのは明治4年のことでした。
明治27年に完成した虻田~留寿都~中山峠~札幌(現国道230号)が、廃道同然だった本願寺道路(現国道453号)にとって代わり、それによって農場の開設や団体移住が促進されました。
羊蹄山麓の開発が進み明治37年に真狩駅(現ニセコ駅)も開業し、生産の流通が確保され基礎ができます。

パラグライダー

パラグライダー

道の駅からルスツリゾートの橇負山(そりおいやま)が聳えるように見えます。この山頂からパラグライダーが飛び立つのが見えました。
スキー客はリフトがありますが、夏場のパラグライダーの人たちは荷物があるので車で行くと思いました。
留寿都村役場で山頂に行く道がないのかを聞くと、やはりありました。

道道66号から257号に入り京極方面に向かうと右に入る村道があります。良く聞いておかなければ分かりにくいところで、目印は何もありません。
しかし、道なりにどんどん進むと山道を登りはじめ到着です。山頂にはリゾート観光客がリフト料金を払って上ってきていました。(東南アジアの人たちばかり)

山頂ですから「ルスツ高原」が360度のパノラマです。パラグライダーの人たちが来ており、子どもが飛び立つところも見ることができました。
また、ここからの羊蹄山や尻別岳は見上げる山ではありません。いつもと違う絶景の山を快晴で見ることができました。(訪れたのは昨年の夏です)