観光客が行かない「足寄町」の旅  人口6,438人 (2022.5.31)         

あしょろ銀河ホール21

足寄町は松山千春 の出身地です。
国道241号と242号の交差点にある「道の駅 あしょろ銀河ホール21」は、かつて鉄路の駅「足寄駅」があった場所です。
2006年(平成18年)4月にふるさと銀河線が廃線となりましたが、駅舎は今も残されています。
ホール正面に『大空と大地の中で』の歌碑が建立され、手形・足形、歌詞が刻まれ、手形のボタンを押すと「大空と大地の中で」の音楽が流れます。
もう一人忘れてならないのは、鈴木宗男議員です。松山千春は鈴木宗男の選挙ではいつも応援団長として説教演説をしています。

「あしょろ」とはアイヌ語の「エソロペッ」(沿って下る・川)に由来し、これは、釧路方面から阿寒を超え、現在の足寄川に沿って十勝・北見へ出たことによるものとされています。足寄町は約1,400平方キロメートルの面積で町としては日本一の広さを誇っています。

のびゆく足寄 十勝の屋根

昭和40年に撮影された映像があります。テレビ普及とともに民放テレビ局が制作した「新たに視聴区域となった市町村の紹介番組」でした。65本の北海道市町村の映像で、その中に「足寄」で副題が「のびゆく足寄 十勝の屋根」でした。その一部を紹介します。

「足寄の面積は四国の香川県と同じ、ではじまります。足寄駅が映され、多くの観光客が降りて来るところです。駅前広場には「雌阿寒岳山開き観光祭り」の横断幕が掲げられています。観光バスは国道241号を走り1時間半で道道949号に入りオンネトーを目指します。オンネトーで雄阿寒岳、雌阿寒岳を眺めながら湖畔で一休みすると「青年の家」に向かいます。ここで一泊なのでしょう。
2キロほど離れたところに滝があり、この滝は38℃の温泉になっており青年の家にパイプで引きお風呂になっているといいます。また、道道949号を足寄方面に戻ると「ラワン蕗」の生息地があります。この近くで畑仕事をしている人たちが蕗を帽子代わりに被って野良仕事をしています。
足寄は木材の町。トドマツ・エゾマツ・アカマツと天然材の宝庫で、木材の工場を紹介しています。最初の工場では大木が工場に持ち込まれると一貫してオートメーションで製品になって出てきます。二番目の工場では、単板工場でドイツ製の機械を輸入してオートメーションで単板が製品化されます。三番目の工場ではチップ専門で、10分でチップが出来てきます。また、鉄工所では道内で珍しいトラックのクレーンを生産していました。これは森林などで大木を吊り上げてトラックなどに積むには欠かせません。
町長の話
<
町は道路整備が第一、道路整備に力を入れています。木材の輸送だけでなく、今後は畜産産業にも道路を整備していく>といいます。
 最後は足寄駅が映り、修学旅行生徒の見送る風景で終わりました。」

 

蝦夷の時代、積雪量が少ないこの地は、鹿が多くアイヌ人の絶好狩猟場だったといいます。ところが、鹿の激減でアイヌ人は次第に離散していきました。明治12年、 細川繁太郎、エン夫妻が白糠越えで中足寄に入植したのが最初の和人定住で、今でもその場所に碑が建っています。鉄砲修理のかたわら畑を開き、牧場を経営、死去した時は馬を120頭飼育していたといいます。
明治23年に銃床材用のオニグルミ伐採で多数入り込み、そのうちの茨城出身の高松米松らが残り定住し開墾に入りました。
明治30年代には次々と入植が続き、明治43年には池田~陸別間の鉄道開通により、開発が本格化します。明治33年に芽登温泉が発見、大正2年には雌阿寒温泉も発見され翌年開湯。大正8年 陸別村、利別村を分離し、足寄外1村戸長役場が置かれました。

螺湾ブキ

螺湾ブキ

帯広市から北に1時間ほど車で走ると足寄町があります。この足寄町の東に位置する螺湾地区には「日本一大きなフキ」が自生しています。
螺湾川に沿って直径10㎝高さ3mもあるラワンブキで、毎年出荷されています。
「コロポックル」というのはアイヌ伝説ですが、このフキを持つとコロポックルの世界に入れます。

 

 

神秘の湖オンネトー

神秘の湖オンネトー

オンネトーは「ラワンブキ」(道道664号沿い)から更に30分ほど東に走るとあります。
阿寒国立公園内に位置しているので、阿寒湖の西側になります。人の手があまり入っておらず、自然の風景が広がるので人気です。
今は展望台が作られているので、絶景ポイントが分かりやすくなっています。昔はこの近くでイーゼルを立てて油絵を描いている人を見かけたことがありました。
湖面は刻々と色を変えることから、神秘の湖・五色沼の別名もあります。雌阿寒岳と阿寒富士を湖面に映し出すのが絵になります。阿寒湖から近い湖沼ですが、流出河川の螺湾川は、東方の釧路方面ではなく、西方の十勝方面へと流れています。オンネトーは、オコタンペ湖、東雲湖と共に、北海道三大秘湖の一つとされています。

帯広から初めての足寄町へ

もう30年近く前のことです。仕事で帯広をよく訪れていました。
経営者が「今日は仕事の話はやめてラーメンでも食べに行きましょう」と自家用車に乗せられました。一時間ほど話し込んでいるとラーメン屋に到着。
お店の向かい側が穏やかな登り坂となっていて駅がありました。それが「足寄駅」でした。十勝のラーメンは私の故郷の味と良く似ており、更に縮れ緬なので大抵のお店で美味しく味わうことができます。
食べ終わると、経営者は次に行きましょう。と言われても良く分からず助手席に座っていると、かなりのドライブで次の目的地に到着しました。そこは小さな温泉地でした。小さな露天風呂に浸かり経営者の能書きを聞くと、この温泉はアイヌには古くから知られており、和人が発見したのは明治33年のことだといいます。それは「芽登温泉(めとうおんせん)」でした。
写真は現在の露天風呂ですが、当時はまだ自然の中にぽつんと湯舟だけがありました。今は秘境温泉の一つで一泊2万円以上の宿です。芽登とはアイヌ語のメトッ(metot 山奥)」に由来しています。仕事なのか旅行なのか、のんびりとした3時間でしたが、未だに記憶に残っている足寄の旅でした。