道立北海道文書館(もんじょかん)が、1960年代の半ばに民放テレビ局が制作した「新たに視聴区域となった市町村の紹介番組」のフィルムを保管していました。半世紀も前の65市町村の映像ですから、今は失われてしまった町や村の風景です。ネットに載せることはできませんので感想を含めて紹介します。

尚、このCDは現在「北海道立図書館北方資料室」にあります。
私が借りた時は「北海道立文書館」でしたが変わりました。

 

倶知安町 1966年(昭和41年) 26分 白黒 音声あり         

音声が入っていますが、良く聞き取れませんでした。視聴者の解説を含めて書いています。

倶知安駅の映像から始まります。倶知安駅の一つ小樽側は「小沢駅(おざわ)」、一つニセコ側は「比羅夫駅(ひらふ)」です。鉄道は明治37年に小樽~函館間を開通しました。

くっちゃん名の由来はアイヌ語のクッシャニからといいます。クッシャニとは尻別川支流、倶登山(くとさん)川の旧名「クッ・シャン・イ」で「くだの(ようなところ)を・流れ出る・ところ」の意味です。

半月湖
羊蹄山(標高1898m)の登山口にある三日月形の半月湖(火山湖)がオープン。
夏山開きで、原生林に囲まれた湖畔の無垢な景観の後はニセコ温泉が行楽となる映像です。

水田(稲作)
4000ヘクタールの水田の田植えには、青森からのお手伝いさんが駆けつけています。今は無い人海戦術の田植え風景です。

アスパラガス
倶知安農協のもう一つの柱は「白いアスパラガス」です。年間300tの出荷でした。

国定公園
1963年(昭和38年)にニセコアンヌプリ一帯が「ニセコ積丹小樽海岸国定公園」 に指定されました。そのため、ニセコの玄関口である狩太駅を「ニセコ駅」へ変更しようと国鉄に働きかけましたがダメでした。
すると、町名を「狩太」から「ニセコ」に改定。後に国鉄も「ニセコ駅」と昭和43年に変更となります。
「夏のニセコ」となり倶知安駅、ニセコ駅は観光客が押し寄せることとなりました。

ニセコアンヌプリ・イワオヌプリ
この当時の両ヌプリの登山コースと800mにある温泉が映ります。

レルヒ中佐の碑

テオドール・フォン・レルヒ中佐(オーストリア)が、明治45年4月に旭ヶ丘スキー場でスキー術を発表したことから、スキー場の発祥記念に碑を建てました。
昭和36年、ニセコアンヌプリの斜面にスキーリフトを設置し、ニセコひらふスキー場を開設。
その後も開設し現在3つのスキー場を持つリゾート地となりました。

倶知安町のはじまりは、明治23年、官林200万町歩、御料局に引き渡され御料林となります。

明治31年に入植した「あだちさん」の話で「人類は土を離れては生きていけない」が印象的。
ジャガイモの面積は三分の一を占めています。

 

イモ祭り(羊蹄山一周マラソン70キロ)  
9月に行われ今年で19回目。ジャガイモの産地としても有名で、羊蹄山を取り囲んで、倶知安町・真狩村・京極町と一周します

酪農の近代化
昭和36年に個人経営から共同経営に転換することで、酪農を近代化しようということです。
共同生活や共同住宅なども映されています。

産業観光祭り(8月20日)
第四回目となります。自衛隊の参加もあります。メーンイベントは「馬場競争」でした。

                               以上