旧大英小学校跡 2

絵は現在の大英地区で大和方面に抜ける道で上り坂です。

大英地区は、大正4年頃に銅鉱石採掘のための調査が入り、大正7年から9年まで三年間、藤田鉱業により産出されました。最盛期には工員数十人を数え、事務所、豆腐屋、荒物雑貨屋なども建ち並びましたが鉱脈が狭く3年で終了しています。
大きな転換となったのが昭和20年でした。

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