ロシアからの南下政策に対抗すべく、多くの幕臣が津軽海峡を渡り箱館から根室に駆けつけました。1800年前後のころです。
220年前後のころで間宮林蔵や伊能忠敬などが活躍したのがこの時代です。
蝦夷の沿岸には津軽藩・秋田藩・白石藩など東北の藩が警備にあたっていました。増毛町や白老町には、当時の歴史資料や土塁の城跡なども残っています。
特に悲惨だったのは津軽藩でした。
当初は稚内に入りその後オホーツクを南下して斜里の警備にあたります。藩士は警備ですから食料は津軽からの調達となります。東北の雪国ではありますが、オホーツクの寒さは津軽の比ではありません。凍死をする者、野菜不足と栄養失調で次々と亡くなっていきました。そのような歴史があるので、今では斜里町と青森は姉妹都市を結び「斜里でねぶた祭り」が行われています。
JR斜里駅前に道の駅がありますが、室内に「ねぶた」が飾っているのはこの歴史があるからです。
東京都八王子市の甲州街道沿いに「千人町」という町があります。
江戸時代、この辺りに幕府の家臣団である八王子千人同心が住んでいたからです。千人同心は、甲斐武田家の滅亡後に徳川氏によって庇護された武田遺臣を中心に地侍・豪農などで組織されていました。
八王子市は苫小牧市と姉妹都市の関係を結んでいますが、この同心が220年を経た今日の苫小牧の礎となっているからです。苫小牧市民会館前に勇払千人同心の像が建てられています。
写真は道の駅しゃり内にある「ねぶた」です